思索の庵 - 14


"The hermitage of the speculation"

編集・管理人: 本 田 哲 康(苦縁讃)
 書物の中で、感動を受けた言葉や章を、ご紹介させていただきます。
 少しづつご紹介し、必要なら感想も述べさせていただきます。

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 「何故か、考えさせられ、そして、安堵し癒されるのだ・・。」 そんなページを目指したい・・・・・・。 


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◇ 思索の庵  ・・ 「人生について」 授かったもの
 ◇ 思索の庵 2 ・・ "自然を考える"の章
 
◇ 思索の庵  ・・ "不自然=悲しみ"を考えるの章 
 ◇ 思索の庵 4 ・・「木曽のなぁ〜♪ きその御嶽山はー ♪」の巻 
 
◇ 思索の庵  ・ 維摩経(ゆいまきょう)から・そしてガマの油売りに学ぶの巻 
 ◇ 思索の庵  ・・「いのちの詩(うた)」=金子みすず など
 ◇ 思索の庵 7 ・・法句経から・・「己(おのれ)のことー1
 ◇ 思索の庵 8 ・・「己(おのれ)」を考えるの巻ー2
 
☆ 補 我執について
 ◇ 思索の庵 9 ・・ 日本人のこころの背骨
 ◇ 思索の庵 10 ・・ 聖徳太子
 ◇ 思索の庵 11 ・・歴史のうねりと流れの必然
 ◇ 思索の庵 12 ・・「十牛図」で”無我”を考える
 ◇ 思索の庵 13 ・・ 民族間抗争と難民の20世紀
 ◇ 思索の庵 14 ・・
 ◇ 思索の庵 15 ・・ 円空の足跡・作品
  ◇ 思索の庵 16・・外国のヒトは日本人をこう見る
 ◇ 思索の庵 17・・加島祥造による老子「道・タオ」
 ◇ 思索の庵 18・・言志四録:佐藤一斎(川上正光訳)
 ◇ 思索の庵 19 ・・ 榎本栄一の他力の世界
 ◇ 思索の庵 20 ・・ 他力という不退転な生き方
 


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14 だが、ヒトは限りなく崇高なるものを求める   5月17日 

参考文献:「日本精神通義 日本の”こころ”を活学する」    安岡正篤 エモーチオ21

日本人の精神の源流は仏教伝来以前・・・?!
 魂 と 精神作用のこと
(立花 隆氏による) 
  11月20日
 
 20万年前に誕生したホモサピエンス。それが現人類である。
 ミトコンドリアDNAによって、それは明らかとなった。   
LINK → ミトコンドリアDNAを辿る
 我々は、結局、元を辿れば、皆、同じ親。兄弟である。
 だが、それが相互に憎しみ合い、競り合って殺戮
(さつりく)が絶えなかった。
 弱き者人間。 実に儚
(はかな)き存在、人間。
 醜き生物、人間。
 だが、本来、ヒトは阿修羅
(あしゅら)のごとき醜い面を持ちながら、反面、こころの奥底には限りなく崇高(すうこう)なるものを希求(ききゅう)している。
 必死に、それを求めている。そんな宿命に苦しみを噛みしめている。
 ここでは、
 そんな”こころの源流”を辿
(たど)ってみたい。
 お付き合い頂いて、とても光栄に思い、心より感謝しています。
_(_^_)_
          
  
里山の神事に「大祓い」がある。
  光明を求めるわれわれは、神の威徳によって諸々の「まがごと」を一掃し解脱しようとする。
  宮司はその身を洗い清め「禊
(みそぎ)」を行う。
  部落毎に氏神
(うじがみ)が祀(まつ)られ、更に小さな祠(ほこら)が散在し、高い山は”霊山”と呼ぶ。
  いまだに、都市においても工事の前には地の神に向かってお祓いを行う。

 
 「貴方の宗派は?」と聞かれて、
    「え〜っと、確か○△だと・・・?!」といった具合は、

  外国人達から見ると、
  ”暢気な無宗教者”と決めつけられかねない。

  ・・が、しかし、決してそうではない。
  日本人は、特異な文化を持った民族なのだ。  そう思う。
  いわば「何でも来い!」なのだ。
  長男は教会で結婚式。
  次男は仏式。長女は神式で・・・。
  クリスマスにはケーキを食し、元旦には初詣をして屠蘇
(とそ)を頂く。
  ・・・・。
  事々さように、八百万
(やおよろず)を受け入れる寛容性を持つ。

 
これが『日本人の文化』なのである。
 さて、「こころ」と「魂」について、考察してみたい。



                                      
・・・ 苦縁讃

日本精神通義 日本の「こころ」を活学する    安岡正篤            
T 日本精神の源流
古神道の勃興とその根強さ
歴史の枢軸を貫く「神道」
 日本の歴史を通観(つうかん)しておりますと,ちょうど分家・・姻戚(いんせき)・縁者、それからそれへと大きく拡がっている旧家の中でも、厳乎(げんこ)としてその根幹(こんかん)をなして続いている宗家の血統があるように、儒教、仏教、キリスト教などいろいろな文化の交渉や融合、発達がありますが、この中に遠く神代(かみよ)の昔から連綿として、我が国の歴史の枢軸(すうじく)をなして発展してきているのは、実に神道であります。
 おおよそ世界はいずこの民族も太古は同様の心理を多分にもっていたものですが、日本民族もやはり、当時の原始的な人間として恐畏
(きょうい)に堪(た)えなかった火や水や日や月や星や雷や風や山などの自然現象を崇拝し畏怖しておりました。そればかりではありません。
 蛇や狼や猿の類
(たぐい)にいたるまで、何かしら気味の悪い、機嫌をそこねるとどんな祟(たた)りをするかも知れないものはみな一種の神として祭っていたものでありました。
 例えば、平安末期にできた『今昔物語』に、美作
(みまさか)や飛騨などの地方民が猿神(さるがみ)をあがめて、毎年、生贄(いけにえ)を供(そな)えていることが出ています。

 また、『陸奥
(むつ)風土記(ふどき)』に、継体(けいたい)天皇の御代(みよ)、行方郡(なめかたぐん)に荒れ地を開墾すると蛇(夜刀神:やとのかみ)がたくさんおって、害をして困るので、杭(くい)を立てて人と夜刀神の地とを分けることに定め、これだけの地は神にさしあげ、永久にお祭りもするから、今後、祟らぬようにしてもらいたいと祈ったことが書いてあります。
 さらに、『日本書紀』を見ますと、欽明天皇紀
(きんめいこうき)に、有名な膳臣巴提便(かしばでのおみはてび)が百済に使いして、虎に愛児を奪われました時、仇討(あだう)ちに出かけて「汝威神(いましかしこきかみ)」と虎に呼びかけています。同紀にはまた、山中で血まみれになって闘っている狼に「汝(いまし)是れ貴(とおと)き神にしてあらきわぞをこのむ云々(うんぬん)」といっているくだりがあります。
 こんなことを一々挙げていれば限りがありません。
 禽獣
(きんじゅう)のような生物ばかりではありません。石や木のような非情の物から、船や剣(つるぎ)のような道具にまで神霊の籠(こ)もっていることを考えました。

 そして何よりも不思議であり不安でならなかったのは自分たち人間の存在であり、死であり、死後のことでありました。
 しかし、注意しなければならぬことは、日本民族は元来すこぶる光明を欲し自然を楽しみ生命を愛する特性を持っておりまして、死ねば黄泉国
(よもつくに)に行くものくらいに考えて、あまり死後のことについて煩悶(はんもん)などしなかったようであります。
 人間には肉体に霊魂
(れいこん)が宿っていて、肉体が死んでも霊魂は死ぬものではない。やはりそれ相応の生活をしていて、人間界と自由に交通することが出来る。
 この霊魂勝れたものほど偉人であって、その人は生きている間も大きな功業
(こうぎょう)を立てたり、衆望(しゅうぼう)を集めたり、死ねばますます人間界に神秘な作用を及ぼすものであると信じておったのであります。
 この 「生命尊重→偉人崇拝→英霊
(えいれい)崇拝→人間感化→世道興隆」があくまでも神道の根本観念であることを忘れてはなりません。
 そこで、前述の大自然の信仰に関しても、人間を滅ぼし、世の中を壊してしまうような神力
(しんりょく)ではなく、物を成し、人を生み、世を修めてゆくような、『古事記』にいわゆる「是(こ)のただよへる国を修理(つくり)固成(かためな)す」という、創造のはたらきを崇拝しているのであります。
 『古事記』の冒頭を精読深思してください。
        
 「天地
(あめつちの)の初発(はじめ)の時、高天の原になりませる神の名は・・・」
    <注:この部分は 『口語訳 古事記』訳 三浦佑之 文藝春秋 による>
 
『なにもなかったのじゃ・・・・、言葉で言いあらわせるものは、なにも。
 あったのは、そうさな、うずまきみたいなものじゃったかいのう。
 この老いぼれはなにも聞いておらぬし、見てもおらぬでのう。知っておるのは、
 天
(あめ)と地(つち)が出来てからのことじゃ・・・・。

 天
(あめ)と地(つち)がはじめて姿を見せた、その時にの、高天(たかま)の原に成り出た神の御名(みな)は、アメノミナカヌシじゃ。つぎにタマミムスヒ、つぎにカムムスヒが成り出たのじゃ。この三柱(みはしら)のお方はみな独り神(著者注:男と女にわかれる以前の神。したがって、配偶者を得て結婚することができない。)での、

 いつのまにやら、その身を隠してしまわれた。
 そうよのう、できたばかりの下の国は、土とは言えぬほどにやわらかくての、椀
(まり)に浮かんだ鹿猪(しし)の脂身(あぶらみ)のさまで、海月(くらげ)なしてゆらゆらと漂っておったのじゃが、そのときに、泥の中から葦牙(あしかび)のごとく萌え上がってきたものがあっての、そのあらわれ出たお方を、ウマシアシカビヒコヂというのじゃ。われら人と同じく、土の中から萌え出た方じゃで、この方が人びとの祖(おや)ということもできるじゃろうかのう。つぎにアメノコトタチ・・・・・・、この方は天(あめ)に成ったお方じゃ。このお二方(ふたかた)も独り神での、いつの間にやら、姿を隠してしまわれたのじゃ。
 この五柱
(いつはしら)の神は、別天(ことあまつ)神とよばれておるのじゃ。

 それにつずいて成り出た神の名は、クニノトコタチ、つぎにトヨクモノ。
 この二柱の神もまた独り神での、にぎわうこともなく、姿を隠してしまわれたのじゃ。
 そのつぎに成り出た神の名は、ウヒヂニ、つぎに妹
(いも)スヒヂニ。つぎにツノグヒ、つぎに妹(いも)イクグヒ。つぎにオホトノヂ、つぎに妹(いも)オホトノベ。
(著者注:この2神の名の「ト」はホトの「ト」で、性器のことで、立派な性器を持つ男:ヂ、立派な性器を持つ女:ベの意であろう。はじめて男女の性が形を顕したのである。)

 
つぎにオモダル、つぎに妹アヤカシコネ、つぎにイザナギ、つぎに妹イザナミ。・・・・・男と女(おなご)とが、並んでつぎつぎに現れでたのじゃた、よかったよのう。
 今あげたクニノトコタチからイザナミまでを、あわせて神世七代
(かみよななよ)と呼びなろうておっての、はじめのクニノトコタチとトヨクモノとはそれぞれが一代、つぎに並び出た十(と)柱の神がみは二柱の神を合わせて一代とするのでの、あわせて七代ということになるのじゃよ。

 さて、そこで、天
(あま)つ神の、もろもろの神がみのお言葉での、イザナキ、イザナミのお二方に向こうて、「この漂っている地(くに)を、修めまとめかためなされ」と仰せられ、アメノヌボコをお授けになり、ことを委ねられたのじゃ。云々。
    <注:この部分は 『口語訳 古事記』訳 三浦佑之 文藝春秋 によった>
    
 すなわち、別天神(ことあまつかみ)から始めて、国之常立神(クニノトコダチノカミ)、豊雲野神(トヨクモノカミ)までは絶対者であり、以下の天神にいたってようやく相対的関係を生じ、いざなぎの神、いざなみの神よりして鮮やかに万象の展開をしております。
 こういう思想が民族独自のものであるか、または、大陸思想の影響であるかというようなことは論外であります。とにかくこの神話によって、いかに我が民族が創造的精神を確保するものであるか、ということを知れば足りるのであります。
 この物を造り、不思議な作用をなす造化
(ぞうか)の力を「むすび(産霊:むすび、産巣日:むすび、産日:むすび。
 日も霊も「ひ」で、「むす」は化生
(けしょう)という意味。産:うむや巣:すをあてたのは面白い)と称するのであります。
 そして、ここにさまざまな「たかみむすびの神」と、「かみむすびの神」を信仰いたしました。その最も大宗は「たかみむすびの神」と「かみむすびの神」とありますが、その他に著しい二、三の神々を挙げますと、まず、「たまつめむすびの神(玉留産日神)」があります。
 これは肉体に生命霊魂を宿らせる神、すなわちこの身に生命霊魂となって現れた神であります。これを産み育てるのは「いくむすびの神(生産日神)」であり、これを調和満足させるのが「たるむすびの神(足産日神)」であります。
 そればかりではありません。国土そのものに「むすび」を認めて崇拝いたしました。『古事記』のこの文章に続く神話によれば、大八島六島
(おおやしまむしま)みな、いざなぎの神、いざなみの神より生まれ出たのであります。
 ー中略ー 
 「むすび」を尊ぶ日本民族はこうして必然的に、
    イ 祖先を尊ぶ
  ロ 伝統を重んじ
  ハ 帰服者を寛容し尊重する
◇”おむすび”は、こころを込めてむすばれた。そして食した。
◇宮参りに詣でて、”おみくじ”を引いて、木の枝に”むすぶ”。
◇縁をむすぶ。
  ・ 言葉には、それなりの意味があり、
      ”言霊
(ことだま)”を孕んでいるのだ。
                   ・・・・ 苦縁讃
 という美質を供えてゆきました。

 そして、同一の祖先より出たと信じる血族団体を氏と称し、これに属する諸部及び奴婢
(ぬひ)などを包含(ほうがん)して大きな氏族(うじぞく)を実現してゆきました。
 天皇よりはそれらの氏族ごとに姓
(かばね)を賜わり、彼らはそれぞれの職を分かって皇朝に奉仕しました。
 その氏族の統帥
(とうすい)を氏上(うじかみ)といい、多くの子孫、族類から畏敬(いけい)され、神格化されていったのであります。
 ここにまた深く留意すべきことがあります。
 それは、日本国民の神の観念についてであります。ちょっと考えると諸方の原始民族と変わらず、日本人も生気崇拝、自然崇拝、諸仏崇拝を出ない素朴な多神教のようにとれるのでありますが、実は単に何かしら超人的な威力のある者、不思議な恐ろしいものをすべて神とする観念があります。
 さらに、一面、われわれ人間のすぐ上にあるもの、影身
(かげみ)に添うものというように親しく考えられ、人物を神格化すると同時に、神を人格化し、神人合一の自由で微妙な心情を持っており、また、氏族と皇室、皇室と造化の神との有機的統一は、キリスト教のような一神教の天主とか世界の主とかいうかけ離れた神の信仰とはまるで違って、天神(あまつかみ)ー 国神(くにつかみ) ー 祖神(みおやかみ)の間に何の矛盾もない。
 国家の紀元もべつだん宗教的起源によらず、教権と政権ともいっこうにヨーロッパのような扞挌
(かんかく)を生ずるわけがないのであります。実にありがたい不思議な国ではありませんか。
 国家という熟語は漢語でありますが、この語はわが日本のためにできているような語であり、キリスト教にいう天国なるものも、前述のような理由から考えて、わが日本にそのまま現れているといっても少しも過言ではありません。
 さて、このようにして生じた多くの神々、いわゆる八百万神
(やおよろずのかみ)を通常、天神(あまつかみ)と地神(くにつかみ)、あるいは天津神(あまつかみ)と国津神(くにつかみ)とに分けております。
 天神は文字通り天上に居住せられる日本民族の祖先、およびその系統中に包摂せられている神々であります。一方、地神はこの国土に住して、天神に従属しておられる神々であります。

 これらの神々をして神たらしめている奇しき霊魂の作用について、すでに造化三神(別天神:ことあまつかみ)の「たかみむすびの神」「かみむすびの神」の表し方によっても明らかなように、「あらみたま」(荒魂)と「にぎみたま」(和魂)とを観じております。
 「あらみたま」すなわち荒神は霊魂の活動派生、猛進、奮闘のはたらきであり、「にぎみたま」すなわち和魂はその守靜、調節、平和、交歓のいとなみであります。
 両者は相待不二
(そうたいふじ)のものとすると同時に、また、自ずから分かち、別々にこれを祭っております。
 有名な長門の住吉神は荒魂の方であり、摂津の方は和魂だそうであります。概して荒魂の方が多く祭られていることは当然でありましょう。

 どうかすると荒魂を悪神、和魂を善神と考える人もありますが、江戸末期の国学者・鈴木重胤も「書記伝」に明記しているように、それは誤りです。善悪は作用の過不及
(かふきゅう)に生ずるものでありますが、しかし、実在が絶えざる生成化育を建て前とする道理上、多くの悪は「過ぐる」に生じます。
 病も食い過ぎ、飲み過ぎ、争いも出過ぎから起こりますように、「荒ぶる」ことはともすると「過ぐる」こととなりやすく、そこから悪に傾きやすいということは認めねばなりません。
 なお、この荒魂に相応して奇魂
(くしみたま)、和魂に相応して幸魂(さきみたま)の信仰もありますが、荒魂、和魂ほど一般的になっていませんし、結局、同じことであります。

Link   地域の巨石信仰・遺跡

U 精神作用と魂・・・ 立花 隆の探った 対外離脱
 作家:立花 隆氏の 「立花 隆リポート 臨死体験  - 人は死ぬ時何を見るのか - 」の取材報告によると・・・・

 彼は、この中のレポートで、いろいろな死に臨んで生き返った人々の報告を取材している。
 欧米では20年程前('4年記述)から「臨死体験」の科学的な研究が行われている。
1   国際会議に参加・・・対外離脱は、オカルトの領域ではない。
 彼は、医学・哲学・文化人類学・神学・心理学と、多くの分野から研究者が集まって、臨死体験を体験した人々も交えて、あらゆる角度から研究・検討が行われた国際会議に参加した。

 「日本では、
オカルトの(たぐい)と見なされてまじめな研究の対象にはなっていない。」と、彼は、報告の中で述べている。体験者の中には、医者もいた。「垣間見た死後の世界」という本を書いて、世界に衝撃を与えた医学&哲学者もいた。彼の研究を見て、はじめて”臨死体験”が、オカルトではなく医学や心理学の対象となったのであった。

 彼(立花 隆氏)は宗教とは無縁の環境に育った人であった(父親は外科医)。彼は救急医療の現場にいて、生き返った人々が多数(2,000例)の人々は、似たような体験をしていることに気づいて研究をし始めたのである。
 氏は、その後日本でのこの種の体験例を、救急病院やその他の機関を通じて取材して、四十数種類検証を試みた。
 その結果、日本とアメリカではそれらの内容に文化的なちがいがあることが分かったが、その核となる部分には相当共通した部分があることに気がついた。
             
2   体外離脱の、共通点は、
@  それ等の共通点は、大きく7つに分けられることが分かった。
            
  生死の境をさまよう人は、まず、自分の肉体から抜け出すことを体験する。体外離脱は、例えようのない安らぎに包まれる。
A  肉体から離れて、天井のあたりから医師や看護婦・自分の家族を見る。
B  それから、一切が真っ暗になり暗いトンネルに入っていく。
C  トンネルの出口にはまばゆい光が見え、その光の中へ入っていく。
D  光の中にはいると、そこはまばゆいほどの美しい場所である。日本人の場合には、そこは美しい花園であったという。
E  その美しいまばゆい中で、多くの人は光り輝く存在や亡くなった家族に出会ったりする。人生を走馬燈のように振り返る人もいる。
F  それから、何らかの境界線に行き当たり、また、戻ってくるのである。日本人は殆どは、そこで大きな河を観ている。
           
 「臨死体験は、このような核となる様々な体験で組み合わされている。」と、報告された。
3  
阿弥陀の『来迎図』
 京都府宇治市「平等院」は、平安時代仏教の説く極楽浄土をそのまま再現しようとつくられたという。
 宗教の教える死後の世界と臨死体験は関係性があるのであろうか?
 彼は、筑波大学講師 カール・ベッカー
(仏教哲学)氏と共に訪れた。ベッカー氏は、ここの阿弥陀如来の死者を迎えに来る処を描いた『来迎図(らいごうず)』が、臨死体験者の観る場面と非常に似ているというのである。
 ここには”トンネル体験”も描かれている。彼は、「この絵が、無量の光の意:アミターバ・阿弥陀であり、そして浄土思想そのものが、臨死体験
(りんしたいけん)を基に出来たと思わざるを得ない。」と述べていた。
4  
イタリア・ベニスのサンマルコ教会の『天上界への飛翔』
 イタリア・ベニスのサンマルコ教会の『天上界への飛翔』ボッシュ作(15世紀作)は、一般には公開されていないが、この絵には、死者の魂がトンネルを通り使者に導かれて光の世界へ入っていく様子が描かれている。この絵も、臨死体験者の描く様子と驚くほど似通っている。
5  
キリスト教のみではなく、イスラム教も・・・・
 「臨死体験者は、皆、人間には肉体だけではなく、魂が宿っていて、死ぬ時には光の中にその魂が召されていくと信じるようになるのだ。」と、フランソワ・ブリュヌ神父は述べている。キリスト教のみではなく、イスラム教の聖者たちの体験にもこのような状況が多く語られている。
6   ヒンズー教の死後の教えには
 インドでは、肉体は死んでも魂は何度でも生まれ変わる・輪廻転生の信仰が伝わっている。彼はインドでも取材をした。文化が異なっても同じ現象が起こるのであろうか?・・・・・。インドに置いても同様な体験談が実在した。ヒンズー教の死後の教えには、閻魔大王に,この世に返された話があった。しかし大筋は共通して同じであった。
7   臨死体験は、幻覚ではないのか?!
@  だが、しかし、臨死体験は、幻覚ではないのか?!
 アメリカ・バージニア州、医学博士・エリザベス・キュープラー・ロス博士は、彼女は数多く
(2万例以上)の患者体験を通して、魂が生き続けると確信したというのである。
 医療の知識が全くないにもかかわらず、臨死体験者は、自分の身体を抜け出して、医者の手術の模様を、上方から観察して克明に記憶して報告したのである。彼女が魂の存在を確信するに至ったのは、体外離脱の現象を確認してからのことであった。その事例の多さから、彼女は魂の存在を認めざるを得ないというのである。
A  ジェームス。アルコック教授(カナダ・ヨーク大学心理学)は、反対に、「臨死体験は人間の脳の中で起こるある種の幻覚に過ぎない。すべて科学的に証明できる現象である。」と主張する。魂の存在を証明しているとは思えないというのである。
 かれは、「全身麻酔された患者が、耳だけしか聞こえない状態に陥った場合、どのように自分の置かれた状況をイメージするであろうか?」と、「人間は、過去の自分の経験をイメージする時に、必ず自分の姿を上から、又は横からイメージして入れるものなのだ。」と付け加えた。
 立花 隆氏は、いずれの見解が正しいのか判断しかねた。
               
B  そこで、体外離脱を経験した人(サリバン:男性)から取材を重ねた。
 手術に際して、患者の目を覆って行うにもかかわらず、その後の手術の状況を克明に見たというのであった。実際に手術を担当した医師と面談させて、この見た状況が医師のそぶりや、自分の心臓の色の状況まで、克明に正しかったことを実証できたのである。医師は、その現象を、「科学とは別の次元のことだと言わざるを得ない」と言った。
C  イタリア・南チロルの偉大な登山家メスナーも、登山中に体外離脱を体験した。彼は、次のように語った。
 「私は人間の身体の中に、目に見えない力というか、エネルギーのようなものが宿っていると考えている。それは、時として肉体からはあれることができる。体験を通してそう確信するに至った。何か、エネルギーのようなものが、肉体が死んだ後も生き続けるのです。そしてすべての人間が死ぬ時、もう一人の自分であるそのエネルギーが肉体から離れていくことを体験するのです。すべての人は必ず死ぬのです。しかし、その体験こそ、最も重要ですばらしい体験だと私は思うのです。」と述懐するのだ。
D 小さな子供の臨死体験から
 アメリカ西海岸のシアトル市バレー・メディカルセンター:メルビン・モース小児科医は、小さな子供の臨死体験にも同じような現象を診て、アルコック教授の言うような、耳から得た情報から幻覚によって起こるというようなものではないと、はっきりと断言したのだ。
8   脳の側頭葉にある”シリビウス裂”
「すべての人間には、脳の側頭葉にある”シリビウス裂”という臨死体験を起こすようにプログラムされた場所がある。」というのだ。かれは60年前の実験結果、下記に示したペンフィールド博士の論を基に話を進めた。
9   ワイルダー・ペンフィールド博士の研究
 さて、この報告の中で、彼はこのワイルダー・ペンフィールド博士の研究と彼の報告も述べて、それについて説明していた。元々はテンカンの原因究明が目的の実験であったが、この結果は多くの画期的な発見に結びついたのであった。
 彼は幻覚を起こす部分が側頭葉に集中していることを発見したのであった。
 この時の記録を観ると、この部分を刺激すると身体が自分から抜け出して、周りから自分を観ているようだと報告していることが記録されているのであった。同じ”シリビウス裂”の他の部分を刺激すると、患者は『神を観た!』と報告しているのであった。記録には、更に、近くの他の部分を刺激すると、今度は、「天国の音楽のようなものが聞こえる。」と、また、別な部分では、患者は「死んだ家族と出会った。」述べている。
            
 メルビン・モース小児科医に、立花氏が問うた。
 『それでは、側頭葉で、臨死体験のすべてが説明可能ですか?』。
 それに、かれはこう答えた。
 『ただ、たった一つ説明できないのは、体外離脱した時に回りを見ているのは魂なのかそれとも脳のなにかの機能なのか?という問題なのです。
 側頭葉だけでおきるとは言い切れません。しかし、側頭葉と連動しておきるとは言い切れるのです。
 魂があるとすれば、側頭葉は魂と肉体を結びつけている所・魂が肉体から離れる時のスウィッチと言えるかもしれません。私はまだ魂を信じていませんが、何故人間が死ぬ時に対外離脱がプログラムされているか?
 進化論の立場からすれば、死の直前だけに働く脳の機能があること自体不思議です。
 それが働いても、人間にはすべてが終わる”死”が待っているのです。死の直前にのみ働く機能があることが不思議です。』と、しばらく考えてから答えた。
10   東大医学部で、立花氏は確かめた
 立花氏は、東大医学部で『幻覚・夢』を観ている時の脳の状況を最新機器によって調べることにした。REM睡眠中・いわゆる『夢』を観ている時が、通常の生活時と比較すると、一番血流が多いことは判明した。昏睡状態で視線をさまよっている時の脳の状態は、血流は殆ど無しに等しかった。まるで反対の状況であることが分かった。
 しかし、科学では決着が付けられない。
 さて、ワイルダー・ペンフィールド博士は、往年『精神活動はすべて脳によって説明できる時が来る。』と述べていた。しかし、晩年、彼は自分お考えを翻した。すなわち『人間の精神活動は、脳では説明しきれない。』と、結論を下したのである。
 脳とは別に精神活動を司る所があるはずだという考えに至ったのである。
 彼の庭の石に描かれた図式には、”精神”=”脳” と、描かれていた。しかし、彼の死の二年前にその絵は書き換えられた。”精神”と”脳”との間の「=」が消されて、脳の絵の中に?が書き加えられた。
 彼の死後およそ25年、未だ脳に関する結論は得られていない。

Link   ワイルダー・ペンフィールド博士の研究
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