思索の庵 16

"The hermitage of the speculation"

編集・管理人: 本 田 哲 康(苦縁讃)
 書物の中で、感動を受けた言葉や章を、ご紹介させていただきます。
 少しづつご紹介し、必要なら感想も述べさせていただきます。

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16 ”日本の基底に脈打つ未来性”・・ 呉 善花(オ・ソンファ)教授は見た。
          ’04年7月10日

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 月刊誌「MOKU 2004.JUN.」 の解説
 「西洋近代化の最後の姿といえるアメリカのグローバルスタンダード。
  その限界性に多くの人が気づき始めたいま、その突破口として『日本』をあげる韓国人女性が居る。

 日本の中に息づいている『農耕アジア以前の時代に由来する日本』だという。
 この『農耕アジア以前の時代に由来する日本』が示唆するところ、それが『瑞穂なる日本』ではなかろうか。
 二十年前、アメリカ留学の足がかりとして日本にやってきた反日世代の呉善花氏は、日本に対して『好感』から『嫌悪』、そして『理解』へと進み、日本に根を下ろした。
 日韓の狭間
(はざま)で文化的な葛藤に苦しみながら彼女が見いだしたもの ー。

 それは、我々日本人が襟を正して聞かねばならないメッセージである。」

   「日本の基底に脈打つ未来性」 呉 善花
 月刊誌「MOKU 2004.JUN.」 より抜粋・要約
      
       注:失礼ながら管理人の独断で、部分的には文を要約してあります。
                
◇ 略 歴 ◇  
呉 善花

オ・ソンファ
  拓殖大学教授。1956年韓国・済州島に生まれる。高校入学時に家族を離れ、ソウルで下宿生活をしながら高校へ通う。韓国軍隊経験をもつ。83年に来日し、大東文化大学(英語学専攻)の留学生となる。その後、東京外国語大学大学院修士課程(北米地域研究)を修了。拓殖大学日本文化研究所客員教授を経て、2004年より現職。著書に『蝦夷の韓国 開国の日本』(文藝春秋、 第五回山本七平賞受賞)のほかに、『スカートの風(正・続・新)』(三交社・角川文庫)、『私はいかにして「日本信徒」となったか』『海の彼方の国へ』『日本的精神の可能性』『女帝論』(以上、PHP研究所)ほか多数。
 ☆ 何故か、私は韓国を”外国”とは思えないのだ。
 説明はできない。感覚的のそう思うにすぎない。
 二度ほど訪れて一部の地域を短期間巡っただけの小生に、韓国について大した知識があるわけでもない。
 
 だが、DNA解析が進んで、ミトコンドリアDNAから、人類のつながりを確認して、私のこの直感はそんなに的はずれの偏見ではなさそうに思う。
 世界中の人類は、35タイプのミトコンドリアDNAに分けられるそうだ。
注:2007年に具体的な分析結果が発表された。
 日本人には9タイプのミトコンドリアDNA。日本は、狭い島国にしては結構多くのタイプが存在する。
 しかも、この9タイプのうち、6タイプの人々が朝鮮半島を経由して、この島にたどり着いたという。長い時間をかけて日本列島にたどり着いた。当然に、その間に交婚もあったはずである。
 
 ふるさとのような懐かしい風景の韓国。そして韓国の風習。 ・・。私は韓国の地に足を踏み入れてそう思った。
 私の中にあるDNAの記憶であろうか?

 韓国でのイデオロギー教育がどうあれ、私は、韓国が親愛なる兄弟の隣人であって、いわゆる”外国”とは言い難いのである。
 DNAが一番似た民族。韓国。
 いやいや、確かに韓国は「外国」ではある。 しかし、何故か私の中の素直な”情”が、この隣人の村・韓国を”外国”と思わせないのである。
 思えば、けだし『近い兄弟ほど、仲が悪い』ものである。

 人類は、皆、20万年前にさかのぼれば、一人の母親から始まった兄弟だ。
 その中でも、韓国は、一番近い兄弟国である。住む場所も勿論のこと・・・・、そしてDNAも近いのである。
                        LINK  日本人のルーツ
 さて、
呉 善花 氏 の日本人観をご一読頂きたい。
 
 そんな”兄弟”は、「日本と日本人」について、とても参考になる見方をしておられる。
 襟
(えり)を正して、謹んで読んでみたい。
 ・・・・・。
 時々、「日本、このままで・・・・、大丈夫かなぁ ??」等と懸念を抱くが、・・・・・・・・。
   ・・・・ 苦縁讃
                          
☆ 来日してから一年ほどの蜜月時代
 外国人が日本を理解するのは容易なようであるけれども、実はなかなか理解できないという問題があります。特に韓国人は姿形が似ていることから、外国であるけれども外国ではないような親近感を覚えるわけです。だけれども、日本に来て日本人とつきあってみて、「ああ、甘く考えていたな」と実感しましたね。(笑)。
 私は韓国でも最も反日世代が多いといわれる「
反日・ハングル世代」にあたります。学校の教室の風景といえば、真ん中に大統領の写真が掲げられ、その両端に「反日」「反共」のポスターがあるといった反日と反共で民族主義的なイデオロギー教育を注入された世代です。しかし、「日本はけしからん」と言う気持ちがありながら日本に興味があるという複雑な気持ちを持っています。
 二十年前に日本に来た当初は、反日感情を抱く対象は漠然とした日本人であって、具体的な人間と人間とのつきあいは別だという感覚がありましたから、目の前にいる日本人に対して「反日」が重なるということはまったくなく、自分と同じ世代とはうまくいくはずだという思いがあったのです。(略)戦後の新しい世代の韓国人は、だいたい同じようなプロセスを経て日本を理解していくようです。
 まず、来日してから一年くらいは非常に楽しく、ある意味でのショックもあります。韓国では「日本人というのは、まったく反省もできない民族性を持っている。それほど野蛮な民族である」と教え込まれてきたのに、実際に日本で生活し日本人と接してみると、野蛮どころか、紳士的で優しく、モラルがあって、街は美しいことに驚き、もしかしたら日本人こそが最も人間らしく生きているのではないかと感心してしまいます。逆に「日本から眺める韓国人の方が野蛮に見えるのではないか」と言い出すほどです。(略)
 来日して間もない韓国人留学生が集まると、「トイレの中に忘れ物をして、次の日にいってみるとあった」とか、「電話ボックスの中に財布を忘れて、数時間後に行ったらそのままあった」ということを話題にして感心し合うのです。また、一年ぐらいの間は外国人としての人間づきあいしかないこともあって、信じられないくらいすばらしい国に映るのです。
 問題は一年を過ぎた頃から始まります。
 このころになると、表向きの人間関係を超えて一歩踏み込んだ関係を作りたくなってきますが、そこで価値観の違いにぶつかり「日本人がわからない」ということになり、非常に苦しむことになります。これがだいたい来日二・三年の時期で、、極端なノイローゼかと思えるほど落ち込んでしまいます。(略)「この人、いい人だな。つきあっていきたいな」と思えば思うほど気持ちに行き違いが生じ、大きな溝ができて悩んだり、二度と会えなくなってしまうのです。
(略)「それではだめだ」ということが次から次へと出てくるわけなんです。
            
 ☆ 習慣の違いからくる生理的嫌悪感
 「十二年前に韓国人のジャーナリストによる『日本はない』(日本語版『悲しい日本人』)がミリオンセラーになったことがあります。韓国人は日本人ほど本を読む習慣がありませんから、百万部というのは驚異的な数字です。彼女は日本で二年半の滞在ののち、「日本に生まれなくて良かった」「日本人は正常ではない」と結論づけて韓国に帰っていきました。これも生活習慣や美意識の違いから生じた誤解です。これがベストセラーになったと言うことは韓国人の日本への関心の高さを物語っているのですが、しかし、「私は日本を永遠に恨み続けていきたい」と締めくくった本が多くの人に読まれたということを大変残念なことだと思います。

○ 生活習慣からくる悩み ・・・・ これは、ある程度時間が解決してくれる。
韓 国
食事の作法 @ご飯茶碗を手に抱えて食べることは大変行儀の悪いこと。
  みそ汁のようなスープも食卓においたままスプーンですくって食す。

A食事に呼ばれた際には「おいしい」と言う気持ちを表現するために、
 クチャクチャ音を立てて食べるのが慣わし。
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 日本人は逆。
 これが日本の作法だとわかっていても、目の前でそうされると嫌悪感を覚えてしまう。
 日本の男性から

「韓国の女性はきれいな人も多くて一目惚れするけれど、食事に誘って食事をする姿を見ると、百年の恋も冷めてしまう」

 と言われたことがある。
割り勘  あるとき、
 イギリスの語学学校で日本女性と知り合い、日本に帰ってから食事しようと誘われ、
 それが嬉しくて、わいわいおしゃべりをしながら食事をしました。

 その後、「今日は私がご馳走するから」と言うと、「とんでもない割り勘にしましょう」といって、十円とか五円の位まで細かく割り勘にして支払ったのです。

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 私は急に気分が悪くなって、
 私のことをそんなに軽く見ていたのかと思い、
 そこまで距離感を置いた関係なのかなと思って、縁が切れてしまった。
 日本人の謙虚な態度が卑屈に見え、
 他者への気遣いが逆にかべをつくっているように感じられ、日本人は何を考えているのかわからないと、嫌いになった時期もありました。
 いま思えば、大変残念なことをしたと思うのですが、私にとっては寂しく辛
(つら)いことでした。
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これは私一人の経験ではなく、日本に来てしばらく経つと、だいたい同じように韓国人は悩みます。
 どの日本人もおかしく思えてくるんです。「やはり日本人はおかしいんだ」と、それを歴史問題にまで全部結びつけてしまい日本人のイメージが悪くなっていくのです。
☆ ”犬の茶碗”が芸術品?
     
○ 美意識の問題 ・・・・時間が経ってもなかなかわからない
韓 国








@ 日本人は、韓国の女性が目の周りに青いアイシャドウをたっぷり付けて、マスカラを濃く塗って厚化粧をしたのを見て、「あの女性はとても美人なのに、ファッションやきつい化粧で美しさを全部消してしまっている。もったいない。」というわけです。
 だが、韓国女性の著者は、「美しいな。うらやましいな。」と思っていた。
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 美しい眼を強調すれば、他に欠点があっても隠すことができる。・・・・と思う。
A ウエストの細い女性が幅の広いベルトできゅっと締めてそれを強調するのも、美しい脚の女性がミニスカートをはいているのも、日本人は「みっともない」と言うわけです。
美しさを化粧で隠してしまっているという日本人。

「美しい脚は隠して、ちらっと見せる所がいい」と、日本人は思う。
高級な料亭  日本では、高級な料亭で年配の女性が料理を運んでくる。

 「あそこのママさん魅力的だ」と言っているのを聞いて、訪ねてみるとなんと七十歳のおばあさんが出てきた。 ・・・・ 韓国ではあり得ない。

 韓国では、若くてきれいな女性でなくては商売が成り立たない。
生け花展  有名な生け花展で、欠けた花器を修復して使っているのを見て、立派な展示会になぜみすぼらしい器を使うのか不思議でならない。
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 そう言うものほど高価だったりする。
 「日本は先進国であるけれども、ここまで倹約しているのか」と、韓国人はまじめにそう思っているのです。

 しかし、実はそこに日本の美意識がある。
 日本の器には、派手なものの質素なものもあるけれど、日本人が賞賛する信楽焼や備前焼といった渋い色の器や、分厚くて、くねっと曲がったりした日本独特の湯飲みなど、(韓国人の)私にはどこが美しいのか、まるで信じられませんでした。
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 自分用に渋いコーヒーカップを買うなどということは考えられない。・・・・・韓国人は、新婚ならばきらきらと輝く金色で、飾りが付いたもので、全部そろえたい。
 韓国人からすれば、そう言うものは犬の茶碗なのです。                 

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 韓国人の女性と結婚した日本人が、骨董品を買ってきた。あるとき家に帰ってみると、それが見あたらない。聞くと「捨てた」と言う。

 日本にずっといて、どういうわけか息苦しさを感じてしまっていた。実際には狭いわけではないのだけれど,日本語だけをしゃべっていると、息苦しく感じる。
 今度は英語圏に行って英語でしゃべると、すごく疲れるのです。それは言語能力以前の問題として、英語をしゃべると自分が大きくなったような感覚になるんです。
 だけど、そこには温もりがない。温もりが欲しいときには日本語に戻りたくなる。
 ところがこじんまりとした日本語の世界にひたると、息苦しくなってくる。そんな繰り返しでした。
 欧米人もそこに悩むんです。日本文化はいいと思うけれども、入っていけないところがある。
 これはいいものだという日本での客観性が、主観ではなじめないというのは、「息苦しさ」がそこに感じられるからだと思うのです。
 私の場合は、日本が嫌いなら大学をやめて日本から出て行けばよかったのに、そこは非常に微妙なんですが、「おかしい」と思いながらも、日本人に対して魅力を感じていたのです。
 個人的にぶつかり合うことがあるけれど、社会全体で捉えると、人々はマナーはいいし、親切だし、町は安全で秩序が保たれている。しかし、韓国人は「日本人は嫌だ」と思うと、すべてが嫌になってしまいます
 (略) 日本のことをおかしいと思っている在日外国人はたくさんいるけれど、私自身は韓国社会に帰りたいと、もはや思わなくなっていたのです。
 これは実は日本にいる多くの韓国人の本音だと思うのです。社会的な水準は日本の方がはるかに高く、暮らしやすいからです。

 韓国社会には嫌な面がたくさんあります。多くの在日韓国人はそれを隠そうとするけれど、私はいいものはいいと認めたかったのです。
 そして、日本人がよしとするもの、美しいとするものを私自身が美しいと感じられるように徹底的に知ってみようと腹をくくったわけです。
 
 それは自分の中にある価値観をいったん横に置き、日本的価値観を受け入れてみることを意味していました。 (略 ー童話のように母から聞かされた日本の話ー)
母親から聞いた話 管理人注:
「日本人はとても親切なのよ」
「日本では、あふれるほどのお風呂に入れるのよ」
「日本のミカンは甘くて、一本の木にたくさん生
(な)っている」
           ***********
 
ミカンは高価なもので、一個を何人かで分けて食べるほどだった。
 ”ミカンの木が一本あれば、子供を大学にやれる”・・・と言われていた。

 同様の話は、1994年8月

 韓国を案内してくださった
東京薬科大学の客員教授であった 李 相來 氏からも同じようなお話を伺ったことがある。


            ・・・・ 苦縁讃

 
 醜く見えた茶碗が美しく見えてきた
 日本を理解する第一歩として「これが日本人だ」と言う内容の本を何冊も買って読んでも見ましたが、どれもおおざっぱな説明で、私が悩んでいた日本人の感覚や美意識を読み取ったものは一冊もありませんでした。
 これはもう、自分が理解できないと感じているものの中に飛び込んでみるしかない。そう思い、一つの方法として、犬の茶碗にしか見えなかった日本の食器を集めてみようと思い立ったのです。
 韓国では
食器はどれもまん丸い形で、小皿や中皿、大皿などいろいろな種類を十枚ずつセットで買い揃えるという習慣があります。そして、それに飽きたら、すべて買い直す。つまり韓国人は、セットを食器棚にピシッと収めたときに安らぎを感じるのです。ところが日本人の家に行くと、食器棚にはお父さんの湯飲み、お母さんの湯飲みと、色も形も違うものが入っていて「これは私の気に入りのコーヒーカップ」と言った単位などがあって、バラバラで、そう言うものを見るたびに、私はイライラしていました。
 それを思い切って、それまで持っていたステンレス製や西洋の食器を捨て、和食器にしようと決めた。絶対にセットでは買わずに、一つずつ、派手なものよりは渋いもの、できるだけ分厚くて暗いもの,くねっと曲がったものを買うように自分をし向けていきました。
 (略) いつしか一個ずつ買っていくことが楽しみになっていったのです。韓国式にセットですべて揃えた場合はそれ以上集める必要はないのです。それで完璧だからです。 (略)
 窯元を訪ねると、素人目にはすばらしいと感じる作品も、「ダメだ」と言って壊してしまいますね。なぜそれがダメなのですかと聞いてみると、理由はわからないけれどもそう感じると答えるわけです。それは頭で考えたものではなく、肌で感じていて、そこには自然の法則がある。それがまさに
「道」なのだと思いました。すると、それまでに無秩序でバラバラに感じられていた和の食器が美しく感じられてきたのです。
 そして今度はその目で韓国風や西洋風のまっ白い磁器や金色が施されている食器を眺めると、頭が疲れるわけです。明らかに理念の世界で見ているからです。そういう美しさは人工的な美です。だからこそ逆に言えば完璧なのです。
 それに対して、形が不均衡で分厚くて自然の色の和のものは、素朴で飽きることなく、緊張感がほぐれていくのです。身体で感じる世界なので、終わりがない。しばらく時間が経って眺めると、そこに動きが感じられる。頭の働きもやむことなく、ずっと働いているので、身体はそこにいながら動いているような感覚です。
 ここに
日本文化の秘密があるのだと感じましたね。これは自然の法則と自分の身体が一体となった美意識で、日本人の生活そのものがこれを中心に回っているんじゃないかと、漠然と感覚で感じ取ることができたのです。
 その法則を当てはめてみると、私の中で絡み合っていた糸が一瞬にほぐれていくように、日本人を理解できなかったことの悩みがスーッと消えていくように見えてきた。(略)

☆ 極楽世界に橋を架ける日本庭園 
韓国式庭園との比較
韓国式 日本式
@ 庭園そのものが少ない

A 昔の宮廷の庭:
  自然公園のようなもので、大きな木々の間の道を歩いていくと、小さな川や池が現れ、丘があったり田舎風の家があったりします。そこには人間が自然の中に入っていって、自然を味わうと言う発想がある。だからとてもすがすがしくて気持ちがいい。緑の持つ気を肌で感じたという感覚です。ところが,これは一見自然と一体となっているようだけれども、すがすがしい気持ちを人間が味わうために自然があるという人間中心の発想なんです。
@ その中を歩くというよりも、庭園と一体化して鑑賞するという発想。
A おおむね目線より低いところには位置されていて、ある位置から眺めるように設計されている。
B 池の中には小さな島があって、そこに橋が架かり、奥には茶室か何かがある。
C それらを眺めていると、橋の奥のそのまた奥には何があるのだろうかと、想像をかき立てる。
                ***************
 まさにイメージの世界へ誘うのです。だから頭が痛かったんだとわかったのです。このことが理解できたとき、私は、地の底からわき上がるような快感を覚えました。 
 それは、韓国人として育った私にも、日本特有の風土で育まれた文化や美が理屈ではなく、心で理解できたことを知った喜びでした。

                ***************
 日本庭園は自然を映し出したもう一つの現実としての自然景観です。それは人工のものだけれども、人間の都合からくるものではなく、天然の自然と文化的自然との微妙なバランスの上に成り立っています。言い換えれば、庭を造った人の「見立て」によって庭園と自然との間にうまく橋が架かっている。現実を成り立たせている基本的な様式を写し取ることで、もう一つの現実を心の中で成り立たせるわけです。
 この「見立て」がうまくできないと、みっともない庭になってしまいます。日本の庭園は一見おもちゃのように見えて、人工と自然の調和した第三の世界なのです。自分が自然に入り込み、自然に溶け込んでいくという、要するにバーチャルリ・アリティーの世界です。
 それは、見た目と言うよりも、精神的な様式においてのバーチャルなリアル感覚で、あくまで精神的な
第六感(感性)に訴えたものです。枯山水(かれさんすい)などはその典型でしょう。
 こうした味わいは、宇宙的な精神性の開放感へと人の心を誘ってくれます。
 日本の庭は現実のもので構成しながら、現実でない極楽世界をこの世につくってしまった。だから、目線よりも低くしているんですね。目線よりも高いところに表現してしまうと、目がぱっちりと開くでしょ。
 しかし日本の庭を眺めていると、だんだん目が垂れてきて、現実の世界から離れ、イメージの世界に入りやすくなる。 (略) 
 橋を渡って向こう岸へ行き、裏のほうへ回っていくと、そこは借景になっていて、どこまでも続く世界へと広がっていく。永遠に奥行きのある世界です。

 

 坪庭(つぼにわ)なども、あんなに狭い空間に理想世界を表現する。
 日本人にとってあの世とこの世はそう遠くない。
 これは日本人の生死観に関連するのですが、家にはご先祖を祀る仏壇があって、日常会話の中に「そんなことをしたら、亡くなったおばあちゃんが悲しむよ」とか出てくるでしょ。
 韓国の場合ですと、死後の世界と現世は非常に遠くにあって、一年に一回帰ってくるという発想です。これは日本の自然がとても豊かという風土からきていると思うのです。日本のあちこちに、ここは極楽ではないかと思える美しい自然がたくさんありますから。

 
 もちろんそれらの背景には仏教的世界観があります。
 しかし、仏教は中国や韓国から入ってきたものではあるけれど、日本庭園のような世界は中国や韓国にはありません。
 日本に入ってきて日本的に展開したわけです。
 ひところ日本にもガーデニングというイギリス式の庭作りが流行りました。(略) 最近は和風の坪庭のようなものに回帰していますね。

☆ 日本人は空間づくりの天才
 実は私も、自分のマンションに小さな和風の庭をつくってみたのです。
 日本のベランダは狭くて長いですね。その一角に白い玉砂利を敷き詰め、薄い飛び石を配置して、つくばいを据え付け、手すりのところを和風の竹製の柵
(さく)で囲いました。
 そんな空間さえ作れば、緑はあふれるほど無くても、一つで十分です。そして向こうに新宿の高層ビルの夜景が広がっているんですよ。高層ビルの夜景を借景にしてしまうなんて、贅沢でしょ?
 これを眺めては、「
空間というものはこんなに美しいものか」と、感動しています。
 日本人は自然の空間に非常に手を入れるのですが、手を入れていないかのように演出します。
 また、敷地内と敷地外をくっきりと分けないで、いかに一体化するかを考えて庭づくりを行います。それが自然にできたときに、日本人は安らぎを感じると言います。こういう感覚を失っていないうちは日本は大丈夫だと思いますね。
 このように日本人は空間づくりの天才です。 (略) バランス良く配置して空間をつくれば、緑は少しでいいという感覚です。そして優れたものであればあるほど
シンプルです。
 それが端的に表れているのが
床の間です。床の間には掛け軸と一輪挿しくらいしかないけれども、一つの空間を創造しています。なぜわざわざ無駄に見える空間をつくるのかと思うけれども、実はそこにすべてが凝縮されているわけです。 (略) 一枝だけ持ってきて床の間の花器に挿せば、ツツジの美しさをその一本が代弁してくれます。
 いわば、「生命を活かす空間づくり」。こういう感覚に日本人は長
(た)けているんですね。
 お茶室を初めて訪れたとき、「子供のおもちゃのような部屋だ」と、とても息苦しく感じたものです。
 ところが、そこに入り込んで眺めたときにイメージが広がっていくような感動を覚えました。
 日本文化を
縮み志向という人があるけれど、そうではないですね。頭で考えると、そのように見えますが、しかし広すぎたらイメージが広がっていかない。狭い空間をつくるからこそそれが可能となるわけです。 (略) しきりの効果で、向こうには奥がありそうだと想像するからです。
 そういう意味で日本の衝立は優れたものだと思いますね。    (略)
 欧米や韓国には、自然から遠く離れたものが、より完璧でより美しいものだという発想があります。ところが日本の場合は、極めていけばいくほど自然感覚に近い「道」となっていきます。しかし、それは非常に高度な世界です。
 それが日本人とのギャップを生み、
私が激しく悩んだ原因でした。
 自然から離れた高度なものだけがいいものだという感覚が、日本人と激しくぶつかり、抵抗しようとしたのです。
 現在の日本をよくよく見ていくと、「欧米化された日本」「農耕アジア的な日本」「農耕アジア以前の時代に由来する日本」という三つの世界が共存しているように思います。
 そして三つ目の「農耕アジア以前の時代に由来する日本」が日本人の中にどっしりと横たわり、それが外国人には「理解不能」を生んでいるのだと考えます。
 「農耕アジア以前の時代に由来する日本」とは、縄文時代、新石器時代の、農耕文明が展開する以前の感覚です。
 この時代には、人類は山川草木の
すべてに神の存在を感じ、自然と一体となって生きているという感覚・感性をもっていたに違いありません。
 そうした感性は農耕が始まり、文明の発展とともに薄れ、消え去っていくものですが、日本の場合は残った。そして現代
日本文化の基層にしっかりと息づいていると思うのです。
 それが、日本人のものをつくるときにも、人間関係の在り方にも、すべてに含まれるわけです。
 日本の社会秩序が世界のどこよりも保たれているのは、もちろん西洋から取り入れた普遍的な制度によって保たれている部分もありますが、それよりも、生活する人々の間の自然な調整作用の働きで保たれている部分のほうがずっと大きいと思います。
 自然をあるがままに受け入れ、それを自分自身の中で調和させていく。

 人間は自然の一部
であって、人間も自然も等しい存在といった意識から、相手を自分の中にいかに受け入れるか、また、いかに調和していくかという気持ちが発展し、共同体が形成され、それが日本的な集団主義のベースとなった。こういうベースがあって、農耕共同体になっていったと考えられます。
 西洋を中心とした近代社会は、物事を主体と客体に分けて見ようとします。人間と自然、自己と他者をはっきりと区別する。
 これに対して日本人は、主体と客体とを明確に区別しない世界にずっとこだわり続けて文化を形成してきました。
 対象との「分離」ではなく、
「融合」に重きを置き、対象と自分を合わせたトータルな世界の調和を理想としてきたのです。ですから日本人はいくら主体性がないと叩かれようとも、徹底した主体の自由を理想とする西欧近代のイデオロギーを採用していくとはとうてい考えられないのです。もし、そうなってしまえば「日本の死」を意味するとさえ思います。
 あらゆるものがグローバル化されていく中で、これからは近代科学的な発想では立ちゆかなくなっていくと思います。
 資本主義の発想も限界が来ている。ある意味、アメリカのグローバルスタンダードは西洋近代化の究極にある近代最後の姿です。その先を行かねばならないときはすでにきている。
 ではどこに
未来性があるのかといったときに、私は、日本の中に息づいている「農耕アジア以前の時代に由来する日本」だと思うのです。
 しかし、いま多くの日本人はそうした大事なものを忘れてしまっているようです。
 日本は精神性の高い国だけれども、その精神性の奥行きがなくなると、日本はおかしくなると思いますね。
 教育の荒廃や親による虐待が急増している問題なども、関係があるのではないでしょうか。
 だけど、行くところまで行ったときに、
日本人はきっと戻ってくると思うのです。 (略) 一時的に新しいものが出てきても、日本人の感覚に合わないものは消えていくんですね。
 焼き物にしても、いまの四十代から六十代は西洋風のものを好みますが、若い作家達は日本的な素朴で渋いものをつくる傾向にあります。
 このように帰ってくる力が強く働くのです。       (略)
☆ 止まることなく動き続けるダイナミズム
 日本文化の最大の特徴は、常に止まることなく動き続け、
積極的に外部と習合していき、そのことによって革新を果たしていこうとするダイナミズムにあると思います。
 だから、中国やインド、地中海や中東なでで展開された古代文明のように、完成された文化として、いつしかその動きを止めてしまうことがありません。
 日本で古代や中世に花開いた高度な精神文明の伝統が遺物としてではなく現在に生きているのは、そうした革新性をもったダイナミズムの働きがあるからだと思います。私はそこに、日本が孕む
世界的な可能性を感じるのです。
 日本文化は、宗教性と非宗教性との中間にあるという柔らかさをもっています。その精神的な影響下では、およそどんな世界宗教も排除することなく、仲良く共存できるという未来的な普遍性を持っています。
 なぜなら、それは自然の中に生きる人間の足下から横へと広がっていった普遍性に源を発しているからです。
 日本人は「ありがとう」という言葉を頻繁に使います。
 韓国人は「ありがとう」を滅多に使いません。「なんて他人行儀だ」ということになるわけです。
 ある韓国人牧師は、「日本人は神様のように生きようとしている。なんと不遜な者達か」と言いました。しかし、日本にいると、ほんの小さな物事に感謝したい気持ちが出てきます。
 「おかげ」はどこからくるか。唯一絶対の神ではなく、「自然力の作用」だと思います。
 日本人は神様のように生きようとしているのではなく、あらゆる他者性の中に自然の作用を感じて生きること、それを生活の理想としている、そういうべきではないでしょうか。
 日本に来て私がついていけなかった最大の問題は言葉の使い方でした。
 日本人は頻繁に受身形を
使います。能動的な言い方になれている私は「先生に叱られた」「女房に死なれた」「彼女に振られた」という使い方にも違和感を覚えましたが、「泥棒に入られた」というのには本当に驚いてしまいました。
 これは意志伝達の問題を超えて、発想の問題に関わってきます。当初私は、受け身的な態度を取る日本人はなんて表面的で欺瞞的
(ぎまんてき)なんだと思ったものです。
 しかしこの受身形をよく見ていくと、自分にも落ち度があったと、あるいは
相手への配慮が感じられるのです。
 また、日本人が意識の中で主体に重点を置くのではなく、現実の場面、場所、実態に重点を置いていることの表れだと思えてきました。
 現代日本人の受身志向の強さは、自他未分離の意識そのものではなく、分離していても分離しまいとする意識の働きの強さで、これは日本が西欧ともアジアとも異なる文化基盤をもっていることを如実に物語るものだと思われます。
 そこに、アジア的な血縁主義に基づく排他的な利己主義の限界も超えた未来的な人間関係への可能性が秘められていると感じられるのです。
 しかし、なぜ日本だけが特殊な世界を構築できたのかを考えると、豊かな風土と四方をで囲まれているということが大きいように思います。
 そのため侵略を受けたことがなく、文明・文化も外から直接強烈に入ってくることもありませんでした。
 海がちょうどクッションの働きをあいてくれたおかげで旧
(ふる)いものを壊すことなく新しい文明を吸収でき、独自の文化を作り上げることができたのだと思います。
 一方、朝鮮半島は高度な中国文化に晒
(さら)され、圧倒されてきました。    (略)
 日本を理解するには、内側からの目線と外側からの目線を持ち合わせていないと難しいでしょう。
 そういう意味でも私は欧米人でなくて良かったなと思っているんです。欧米人だったら、いつまでも日本を外からの目線で見ていたと思うのです。
 欧米人は理論的に分析し、文章に表現する力があります。それを読んで日本人は、なるほどと思うけれども、腑
(ふ)に落ちるところまではいかない。 (略) 私は隣の国だったので、いまでは日本の感覚に立ってものを見ることができます。
 そして、時にはすっと外側から日本を見ることができるのです。
 いまでは、外から日本を見て悩んでいた自分はとても大切な経験をしたと思います。
 日本人は無意識の領域の独自性をなかなか自覚することはできませんし、それがわからない多くの外国人の悩みに少しは役に立つことができるかも知れませんから。
 日本が好きになって、その目で韓国を見ると違和感を感じ、自分はいったいどこの国の人間なのかと悩んだときもありましたけれども、いまでは、「日本も私の国、韓国も私の国」と、両方に愛着がもてるのです。 (略) おそらくナショナリズムの壁を越えてしまったんですね。
 韓国人はイデオロギーさえ除けば日本を好きになると思うのです。
 反日教育の不毛性に気づき、儒教的な感覚を超えて日本とつきあうようになれば良きパートナーになれる国だと思います。やはり感覚的にいちばん合っている国同士だと思いますからね。(略)

管理人の・・・・・(余談ながら・・・・)      
 私は、韓国に2回行く機会を得た。
 一度は、1994年8月だった。一週間の旅。
 二度目は、2003年(別の頁で報告「韓国への旅」させて頂きました。)
 いずれも短期間だった。
 短期間で、表面的にしか観ることはできなかったが、「異国・外国」に行ったという感覚はまったくなかった。
 『日本の何処か・・・、田舎(懐かしいふる里)に訪れた。』ような感情が湧いてきた。
 これは”甘いナショナリズム”の小生だけがそう思ったのかも知れない。
 旅の間、『ここは兄弟の里!』。 いつもそういう思いが、脳裏から去らなかった。韓国の言葉が違ってもである。
 言葉は、沖縄・いや東北の方言は小生には理解できない。「言葉の違いがなんだ!兄弟なんだ!!」と、そう思った。
 食べ物は、毎食韓国料理。美味であった。違和感はなかった。本当に美味
(おい)しかった。
 ブラジルに一ヶ月間行ったこともあったが。このときには初日から食べ物が私に”異国”を訴えた。
           
 だが、
 第一回目は、旅の日程が一週間経って最終日。
 あれほど美味しかった韓国料理が、もう、一匙だって口に入らなかった。
 味覚で感じ取った『民族の壁』であった。『やはり、ここは異国?!』。そう思った。不思議な体験をした。

  この旅には、偶然、成田空港で70歳位の一人旅の女性がいたが、帰りもまた、空港で一緒になった。
  行きの”顔つき”と帰りのそれがあまりにも違うので、声を掛けた。
  彼女は、
『も〜う、イヤ!コリました!』と一言疲れ切った顔で、彼女は私の方に視線もくれずにそう答えて、立ち止まらずに、悲壮な面持ちで過ぎ去っていった。 忘れられない光景であった。
  もう、かれこれ十年前である。私は、韓国の”反日感情”が、遠慮無く一人旅の老婆に注がれたのであろうと、推測して気の毒に思った。
  私のこの時の旅は、「日韓農業セミナー」と題されて、短大や大学、高校の先生達に日本の農業教育の現状について報告したりシンポジウムを行うものであった。従って、いわば「親日派」が相手であった。夜もホテルに講演の内容について質問に来られるほど、日本の教育内容についてとても熱心であった。 
 ところが、一度、一行から離れて一人で町に出て地下鉄の駅で、『反日感情』を体験することになった。
 駅員に切符を購入すべく英語と両手の指で駅の番号(韓国は番号で購入できる)を繰り返し頼むのだが、若い青年駅員は険しい顔をして解らない振りを続けた。
 これには困惑した。 ・・・・・。
 しばらく、指で番号を示し、英語で番号を訴え続けていると、後ろで待っている乗客達がざわめきだした。
 三・四人後ろから、片言の日本語で男性が援助の声を掛けてくださった。
 『お客さんはどこまで行かれるんですか?』と、聞いてくださった。そして、若い駅員に説明してくださった。
 駅員は急に顔がほころんだ。 しかし、また、険しい顔で切符は私の手に渡された。

  『も〜う、いや!!懲りました!』と疲れ切った顔でいった初老の女性の一言だった。
 私は、その切符のことを思い出し、彼女の一人旅の様子は容易に脳裏に映像として浮かんできた。

 二回目の訪韓には、そんな気配は微塵もなかった。日本語は大体のところで通じた。

                                 ・・・苦縁讃
 ところで、・・・・・・、果たして、『日本』。
 ・・・・・。
 本当に大丈夫だろうか??
 ある学者は、こんな事を言っていた。 ・・・・・。「○△年後には、日本列島に日本人は7人に減少するであろう」と、・・・・。実は、
 この一連のHPを作りながら、そこのところが脳裏から離れないのである。
 心配しても仕方がない。・・・・が、・・・・・!? きっと、成る可くして,『なるようにしかならない。』と思うことにしている。
 長い間、高校教育に携わってきた。青年達の心のあり方を見つめてきた。
 微力な私には、”人間は、大きな時代のうねりの中で・・・・、あらがいきれないモノに流されている。”‥としか思えないことが多かった。
 自分に出来ることを、一歩一歩前進しながら誠実に生きるしかないようである。だが、何とか?!為らないであろうか??!。

☆ 上山春平 氏は、「寛容への道」と題して NHK TV に、以下のように述べていた。
 S.ハンチントンは、著書「文明の衝突」の中で、世界の文明を8つに分けていた。
 仏教文明の中に、日本が入れられると思ったが、そうではなかった。
 日本の文明は、特異なものとして分類されていた。
  それは、
   ○ ラテンアメリカン
   ○ アフリカン
   ○ イスラミク・・・コーラン
   ○ シニク(中国)
   ○ バラモン(ヒンドゥ)
   ○ ロシア
   ○ 仏教文明 ・・・ インド仏教も、そして、中国の仏教も、戒律が厳しいと言われる。
   ○ 日本文明(仏教と分かれている)・・日本を仏教文明の中に入れていない。寛容すぎると言うのである。
日本のみが、独立したネガ(すべてを受け入れる体制)の文明である。女性的。
  他の文明は、皆ポジティブな文明だという。

   確固としたJapanese Civilization が望まれる。
  ・・・・・・と、上山春平 氏は結んだ。



さてさて・・・・
                                
 
ところで、梅原猛氏はこう述べていた。     From 梅原猛著作集 「塔」 集英社 29頁 より
 (略)
 日本に関する学問、それはあまりにも幼稚な段階にとどまっている。
 最近流行の日本人論、それは日本に関する認識を根本的に考え直そうとする覚悟なしには、ただの雑談にすぎない。
 日本について、日本人は西洋の国々についてより、もっと低い認識の段階にとどまっている。それは日本人である限り日本についてよく知っていると思っているからである。
 しかし、そういう自惚れを、われわれは根本的に捨てなければならない。自分というものは、いちばん自分に近いものでありながら、自分に関する正確な認識をもっている人は少ない。他人について厳しい批判の眼をもちながら、自分のこととなると、全く甘い眼しかもたない人が多い。同じことが日本についても当てはまる。日本について、よく知っていると思う偏見が、どのように日本についての正確な認識を妨げていることか。
 考えてみるがよい。今まで、日本人は、古事記も法隆寺も万葉集も、誰によって、何のためにつくられたかを根本的に考えてみようとしなかったのである。
 それらは、日本が世界に誇るべき古典であるとされ、日本文化の原点であるとされているはずなのに、その製作の主体も、その製作の意味も分からなかったのである。 (以下略)
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