No More Hiroshima No More ・・・ (2)

広島ツアー

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 今日は一日広島市内観光なので広島城へ向かいます。広島城は毛利元就の孫

輝元が築いた平城です。もちろん再建された城なのでコンクリート製です。なのに中

はクーラーがかかっていない。二の丸から炎天下の中歩いてきた我々にはつらい。

以前名古屋城に行ったとき城の中にエレベーターがあるなんて邪道だ。と思った私

ですがこのときばかりはなんでエレベーターないんだよとののしりました。


 途中、鎧を実際に着てもいいコーナーがありましたのでこれは着てみなくては。清

洲城で来たときは素材がアルミ缶だったのでとても軽かったのですがこちらはきちん

と作られているらしくかなり重いです。兜をかぶった頭が揺れる。

 天守閣を後にし平櫓、多門櫓、太鼓櫓が復元されたいるので中に入ってみると展示物はなぜか忠臣蔵についての資料。広島城の城主は毛利輝元の次に福島正則そして浅野長晟と続き、その後版籍奉還まで浅野家が城主となります。この浅野家の親族に忠臣蔵で有名な浅野内匠頭もいます。しかし愛知県在住のMちゃんは忠臣蔵が大嫌い。吉良殿は忠臣蔵では悪役ですが吉良殿の地元、吉良町では名君として知られており、逆に内匠頭が暗君であったにもかかわらず主君の敵討ちをはたしたという忠義心を美徳と思わせるようにした幕府の思惑と、本来の背景を無視した設定が嫌いなようです。そのため展示物に関してほとんど見ずに出てきてしまいました。

 初めて広島に来たのは原爆を理解できない小学生の頃でした。原爆ドーム保存募金にあまり理解できないまま募金したことだけ覚えています。

 原爆投下後75年は木が生えないだろうと言われたようでしたが、ここが焼け野原

だったことを想像できないくらい多くの木が生い茂り、中国地方最大の都市らしくビル

が立ち並ぶ。戦後多くの努力によって戦争の傷跡がなくなっていく中でこれだけは残

さなければいけないという思いがわかった気がします。

 観光客の我々はこうした有名なものにのみ目をむけますが、小さな慰霊碑と思われるところで手を合わせている老人も見られました。こうした私たちが知りもしない多くの人たちの犠牲の上で戦争がやっと終結したということを感じられます。
 広島平和記念資料館は昨日が原爆投下の日であったでけあって混雑していました。新しく東館がつくられたらしく(記憶ではなかった気がする)展示内容もわかりやすくなったきがします。ボランティアガイドも多数いたのでかなり詳しく知ることができます。しかし展示内容が歳をとったので理解できる反面、あまりの生々しさに途中から正視することができず、最後には吐き気がして出てきました。でもこの中を実際に人が生きていたんですね。説明の中で一番印象が強かったのがあまりの瓦礫の多さに片付けることができずこの平和公園の50センチ下は当時のままですという言葉です。ここを掘れば今も傷跡が見える。広島ではこれからも原爆の傷は癒えないのだと衝撃を受けました。















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