No More Hiroshima No More ・・・ (3)
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広島I.C.より山陽道で岩国に向かいます。岩国は錦帯橋という橋で有名です。山口県最大の川である錦川にかかる五連の木造橋で1673年三代岩国藩主吉川広嘉によって流れない橋として作られましたが翌1674年に洪水で流出。徹底的に原因究明したため二代目は長生きしましたが昭和25年のキジア台風で流出。昭和28年に三代目ができましたが木造のため腐朽が目立つようになり平成13年から15年にかけて26億円かけて完成しました。日本三名橋のひとつとして挙げられるのだからさぞや混んでいるのだろうと覚悟していったのに駐車場までスムーズに入れる。というかがら空き。しかも無料。橋の上は人がごった返していると思っていたのにまばら。私にとっては大変ありがたいことなのですが26億円かけてこれでよいのでしょうか。しかしその理由はすぐにわかりました。暑い。この日も大変よく晴れており錦帯橋を見に来たはずの家族連れも下の川で水遊び。
![]() そしてこの後の台風でまた流されたらしい |
しかし錦帯橋のそのすごさは裏から見ると感動します。建築に全く知識が ないのでその木の組み方にただ感嘆してします。橋は有料なのでついでに 橋の向こうの山のロープウェーと岩国城の入場券をセットで買います。橋の 上は多少風がありますがやはり暑い。また、足元がスロープ状になったり階 段になったりで足元注意です。 ロープウェーで一気に山頂近くまで上がるとさすがに風が気持ちいい。と 思ったのもつかの間。岩国城までたった5分ですが、やはり暑いし、城も最 近作られたはずなのにクーラー入っていない。しかも本来の天守があった 場所に再建されたのではなく、錦帯橋から見えるように今の場所に作られた らしい。そんなことありなんだろうか。旧天守台跡は誰からも忘れ去られた ようにひっそりと現天守の後ろに控えておりました。 |
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お土産に錦帯橋せんべいなるものがありまして箱が名前のとおりゆるくカーブして瓦のような形とサイズをしているのでこれはおおきなせんべいが数枚入っているのかと思ったのに小さな四角いせんべいが湾曲しているだけという大変面白みのないもので買う気がなくなりました。
さてまたひとつ城も制覇したことだし満足ということにして広島市内に戻ってもうすぐホテルというところである信号につかまりました。ここを直進してその次の次あたりを左だな。と交差点を直進した直後に私は嫌な看板を一瞬目に入れたような気がしましたが広島という街に縁もゆかりもない観光客がそれを理解するには短かったのです。
「右左折のみ(バスを除く)」 (もちろんよく見かける絵で描いてあっただけです) 交差点に入ったところで突然後ろからウーウーと 嫌な音がしたんです。でもまだその標識の意味が 理解できてなかった我々には(運転手は完全に見 落としていた)その音が我々に向けられているとわ からなかったのですが、一応路肩に止まってみる とやはり予感的中。直進禁止だったそうです。しか し私たちが通ってしまった道路から後ろから大量の 乗用車が後ろから来るではないか。 |
![]() あまりの悔しさに絵まで描いてしまいました。 |
なんであれはいいんだ。と食って掛かると、南北のみバスを除いて直進禁止で東西から来た乗用車はそこを通っていいらしい。その直進禁止にいったい何の意味があるんだ?答えてみろ!ここで張ってれば道を知らない観光客がいくらでも捕まえられる。そうだよな、違反の反則金も警察予算の中に入ってるもんな。そのために作ったのか?確かに私たちが悪かったそれは認める。でも観光客だよ。免許や車のナンバー見たってわかるでしょ。しかし頑固なこの若造は「だめじゃけん」を連発し、しっかり減点かつ違反金7千円を請求してきた。さらに「はんこ持ってますか?」ときたもんだ。観光客が持ってるわけないだろと二人で激怒しました。もう二度と広島にはいかないと誓いました。
No more Hiroshima ,No more Police.
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