3日目(6月22日)ホジェンド〜イスタラフシャン

 5時半に起きる、今日も暑い日になりそう・・・・昨日は暑かったので、埃と汗が目に入り、目が充血した、7時45分からの朝食は卵、ヨーグルト、果物など・・・・8時半に出発、朝の行事のくじ引きは、今日は2号車、男性二人の中で紅一点

 昨日までは道は良かったが、今日は舗装されていない地道が続く、沿道にはアンズの木が多く、今が最盛期であろう、オレンジ色の実が実っている、畑には綿花が広がり、家は平屋が多い

 9時40分、ソグディアナのグルガダ遺跡(ゾロアスター教(拝火教)の墓地)のある山が見えてきた、

沿道の風景 グルガダ遺跡のある山
 ソクド人はゾロアスター教徒、ゾロアスター教では、死ぬとチベットと同じように鳥葬にするが、チベットと、違う点は死体をそのまま木の上に置く、鳥たちが食べて骨だけが残る、その骨を山の上に埋葬する、いまでも、当時の骨が残っていると言う、はるか遠くに岩山が見える、感無量な気持ちでカメラを向ける、ここタジギスタンはソクド人の遺跡が多い、

 道が舗装道路に変わり、快適に走るようになる、沿道では蛇を持って、車にかざして売っている人がいる、この蛇は漢方薬に使うと言うが、炎天下、生きた蛇を持って、売る、商売も大変だ、

10時半、2500年の歴史を持つインタラフシャンの町に到着、車は小高い丘に登って行く、モスクがあり、ここからはインタラフシャンの町が一望できる、
イスタラフシャンの町
 この小高い丘がムグテバ、2500年前、アレキサンダー大王の攻撃を受け、その後はソクド人の都として栄え、中世にはルスタム・ベグ王の時代になり、モンゴル軍の攻撃を受けた都、かってはシルクロードの職人バザールとして栄えた、今でも、その面影が残っている、(添乗員の資料から)

 丘の上にある、ムグ・テバ都市跡の発掘現場まで歩いていく、ムグ、テバとはムグは・・・・ゾロアスター教の坊さんを指し、テバとは・・・丘を意味する、こんな丘では水は?・・・下から水がめで運んだと言う、
ムグ・デバ都市跡の発掘現場 ムク・テバに建つモスク 運転手がくれた花
 モスクの場所に戻り、有志の人たが、モスクの上まで登る、私は足が痛いので、下で待っていると、3号車の運転手が、女性達一人一人に花をくれる、エッ・・・・・・男性から花など貰った事は・・・・独身以来、びっくり、嬉しい、たとえ、近くで咲く野草であろうとも・・・・・・

 車に乗り、町の中へ、バザールに行くが、人も車も多い、ようやく車を停めて、シルクロードの時代からある、職人バザールの刃物工房をのぞく、今でも昔ながらの作り方でナイフ等を作っている、
刃物職人のバザール バザールの女性達
 良く切れそうなナイフ、流石に日本には持って帰れないが・・・・道を経たてた反対側には、食品を始め、日用品などを売っている、タジギスタンの通貨はあるが、買うものは無い、バザールでは女性が沢山働いている、子供たちも、今は夏休みと聞いたが、休みの間、お手伝いしている子供たち、感心する

 バザールを見学した後は、レストランで昼食、スープは苦手なコリアンダー(香草)が入っていると食べれないので、香草は抜き、メーン料理はハンバーグ、デザートは現地手配会社の社長が、他の店で買ってきたアイスクリーム、料理は全体に塩辛い、

 食後は今晩、泊まるホテルへ、今日のホテルは、旧ソビエト時代のホテルだろうか・・・・・・広い敷地に、点々と建物が建っているその1棟へ、車を降りるとき、2号車の運転手が、側に咲いているムクゲの花を・・・・・・くれる、女性に花を贈るの・・日常的?

 部屋の様式はさまざま、くじ引きで部屋を決めるが・・・・・私はツアーの人と二人部屋?入り口を入ると廊下の左右にリビングルームとバストイレの部屋、その奥に二部屋あり、それぞれの部屋にソファとベットがある、従ってバス、トイレは共同、

 他の部屋を見る、凄い部屋がある、入り口を入ると廊下の左右にバストイレがあるが、広い、その奥には、居間、ソファも私達の部屋の様に一つでは無く、3つも・・・・・最後のベットルームは・・・・・何とピンクのカバーの掛かったダブルベット、この部屋がお姫様の部屋としたら、私達の部屋は付き人かな・・・・・・
広い居間? 広い部屋のダブルベット 狭い部屋に小さなベットとソファ
 これだけの素晴らしい部屋ではあるが、・・・・・水が出ない、これはどの部屋も一緒、大きなバケツに水を汲んで置いて行く、旧ソビエト時代に作られたホテルの様だが、その後の内戦によって荒れてしまい、未だに回復していない様子である、

 広いホテルの庭を歩いて、ホテルの外に止まっている車に乗り、観光に出発、モッハラと呼ばれる共同体が残る旧市外へ
モッハラとは、日本では町内会みたいなもの、各モッハラにはチャイハナ(お茶などを飲む東屋、日本だと集会所)やモスクが在りその地域の特徴を現している、

 車を降りて、イストラジャンモスクへ、大きなモスクで1万人以上が入れる、ここで写真を撮っていると、子供たちが寄ってくる
旧市街へ・・・・・・両側は日干し煉瓦の低い家が並んでいる、道は舗装されているが、デコボコ道
イスラジャンモスク 旧市街 蛇のモスク
 町内に貯水槽があり、水を飲もうとしたら蛇が沢山出てきたので、その名前が付いたハラ・ハウズ(貯水槽)・モーロン(蛇)のモスク、簡単に蛇のモスク、角のモスクなど、その町内には独特の名前が付いている、見学する私達の横を沢山の子供たちが付いてくる、

 写真を写して、写した画面を見せると大喜び、後から、後から「写して・・・・」と、「並んで・・・」と日本語で叫び(通じるから面白い)子供たちを並ばして、写真を撮っては見せる、幼稚園の先生になった気分、
旧市街、子供たち
 写真が珍しいとは言え、こんな事で大喜びする子供たちを見ていると、日本の子供たちとの違いに複雑な気分、どちらの子供たちが幸せだろう・・・・・・・

 白いモスクのモハラでは、老人達が木陰で休憩している、私達が日本から来たと知った老人達はこんな話を聞かせてくれた、第二次世界大戦の折、捕虜となった日本人がこの地に連れてこられて、私達が歩いている道に石畳を敷いた、その後、ソビエト時代に排水溝を作る、為に石畳を取り除き、再び、元の石畳を敷こうとしたが、出来なかった、それほど、精巧に作ってあったのだろう・・・

 遠い異国で、黙々と作業をしていた人達、故郷を思い、帰れることを願って、石畳を敷いていったであろう、無事に日本に帰れただろうか・・・・・・・・思わぬ所で同胞の話を聞くのは、感無量である、

 今日は暑いが、少し曇っているので、昨日よりは過ごしやすい、車に乗り、タサリテゾーンモハーラに行く、小さな、橋を渡ると、小さな子供がパンツ一枚で居る、あまりの可愛さに皆が寄ってきて写真を写すので、びっくりして泣き出した、
モスクの中にはいる、天井の絵がきれい、
子供 天井絵 壁の穴 チェル・ハナ
 モスクの壁の所に、人一人入れるような穴がある、これは、チェル・ハナと呼ばれ、神学校を出た人や、自己の宗教観を高めたい人達が40日間、この穴にこもり、断食しながら修行を行う、現在でも使われていると言う、

 ここでチャイを飲み、休憩、これで今日の観光は終わり、再び車に乗り、ホテルに戻る、夕食は7時から、ホテルの一角にある庭で食事となる、広い庭を散策しながら、食事場所に向かう、池が在り、鴨が居たり、別世界 泊り客は私達だけ?と思うほど、少ない
ホテル内の池 バラ園のあるホテルの庭 ドルマ
 庭にテーブルを出しての食事、メーンにピーマンの中に肉、米、ひよこ豆を入れたドルマが出る、美味しかった、食事をしている私達の横を鴨が歩いていたりする、1時間ほどの夕食を終えて、部屋へ、相変わらず水は出ないので、汲み置きの水で汗を流してベットへ、

 目が痛い、目薬を持ってこなかったのは失敗、クーラーは無いので、窓を開けて寝る、