11日目(8月16日)ギュムリ〜国境〜アハルツィヘ(グルジア)

 今日はアルメリアを出て、グルジアに入る、朝、ホテルの庭の散策
     
 泊まったホテル   ホテルの番犬?
 平屋の建物が並んでいる、何となく病院の面影がある、白い木は白樺かな〜ホテルの庭にいる犬、カメラを向けるとポーズを取る・・・・・大人しい、 小雨が降ってきた、8時15分、出発、ギュムリの町を走る

 1988年に大地震で被害を受けた、未だに廃屋が目立つ、この街を離れて、エヴァンなどへ移住する人が多いと聞くが、仕事などは有るのだろうか・・・・・・・ギュムリの街を過ぎて、郊外へ 石ころの平野が続く

 所々に村があるが、外にはむき出しのガス管、どの地域でもガス管は外に出ている、自動車事故などで、ぶつかったら大変だ・・・・・・・と思うけど、此方では、故障した時に、地面を掘る事も無く、修理できるので、外の方が良いとの事

     
 ギュムリの街  郊外へ   外に出ているガス管
 途中の村でコウノトリが居る、カメラストップ、コウノトリは人家の庭先に巣を作っている、写真を撮っていると、その人家の人が呼んでいるので、お邪魔する
     
 コウノトリの巣  コウノトリ  民家の女性
 この家のご婦人からお茶を進められる、時間が無いので、断ると、キャンデーを頂く、恐縮しながら、2〜3個頂いて、バスに乗る、近くには、沢山のコウノトリの巣がある、

 小高い丘の上に登って行く、のどかな風景が続く、私の好きな景色だが・・・・・生活するには大変だろう〜

   
 国境へと続く道 
 途中で、高原の花を写す写真ストップ
     
 アザミ  山ハハコ草  チコリオン
 国境に近づくにつれて、どんよりした天気になる、9時25分、国境、私たちはアルメリア出国は何の問題も無く通過、ツアーの中国人の女性が手間取る、出国でも何故?・・・・・・・・

 バスは出国した場所に待っていて、スーツケースを開けることも無く、無事にバスに積む、ここでアルメリアガイドとお別れ、バスに乗り、緩衞地帯を4キロ走ると、グルジア入国

 係りの人は日本人と解ると「東京、京都?」「名古屋(私)」こんにちわ、ありがとうの言葉が返る、今回は中国人の女性は、早く終わった(先回は長くかかった)

 バスが待っている、グルジアのガイドは、先回と同じ若い女性、バスに乗り込む時、突然の土砂降りの雨、グルジアに入っても、アルメリアと同じ風景が続く
     
 国境近くのグルジアの風景  
 この辺りは冬場は雪が積もり、10月から冬の季節に入ると言う、雨は止んだ、国境から下りて行くに従い、草原が広がる、12時10分、砦のある場所で写真ストップ
 
 ヘルトヴィン要塞
 川が合流する地点に建つヘルドヴィン要塞は、10世紀に建設された要塞、この辺りには、大小の要塞が多い、これは、モンゴル軍、トルコ軍など、外敵の脅威から常に身を守らなければならなかった、吊り橋をわたる
     
 吊り橋を渡る  川が流れる  吊り橋の上から
 天気が回復して暑くなる、ツアーの人の持っている温度計では、34度!!沿道には奴隷市場跡、征服された国の子供たちは、本国に連れて行かれて兵士に成った、兵士に成る為に、教育を受け、大人になり兵士として働かされた様子、

 しかし、出世して、奴隷の地位から自由に成った人や、王の姫と結婚して、王まで上り詰めた人もあったと、ガイドの説明、一生を奴隷のままで、悲惨な生活だけではなさそうだ・・・・・・

 洞窟都市のヴァルジアへ、対岸から全体を見る、高い場所に洞窟がある、あんな所で住んでいたの?・・・・・・・

 
対岸から 洞窟都市を望む
 洞窟都市へ行く前に昼食のレストランへ、川の傍にある野外レストラン、相変わらずのメニュー、安心して食べれた茹でただけのジャガイモ、バターを付けて食べる、メーンはマスの塩焼き、添乗員が日本から持ってきたポン酢を付けて食べる、こうすると美味しく食べれる、
     
 香草入りのサラダ  ジャガイモ  マスの塩焼き
 レストランには、イスラエルからの観光客が40名ほど来ている、挨拶を交わす、食事の後、バスに乗り、洞窟都市の下へ、見上げれば・・・・・・・洞窟都市の入り口は遠い・・・・・・あそこまで歩くのか〜

 ここから、小さな車に分乗して、入り口近くまで行く事になる、助かった〜・・・・・・・・歩くには大変な距離だもの、皆が揃った所で、洞窟都市の入り口に向かって歩くが・・・・・・・・若い人は早い、最後尾になる、
     
 遥かに下には駐車場  洞窟都市の中へ  住居跡
 このヴァルジアの洞窟都市は、当初はモンゴル軍に備えて建設された要塞で、12世紀にタマラ王女によって改築された後、大きな都市として繁栄した、時には敵から避難用の場所として使われ、3000以上の住居、

 又、棚田と灌漑設備も整えられ、数万人の人口を有するまで発展した、13世紀に起こった大地震で、3分の2が破壊、16世紀にはサファヴィ朝ペルシャ軍の侵略により、完全に破壊された、洞窟の中には住居、配管などが残っている

     
 配管の跡  洞窟都市  教会の鐘
 洞窟内には、厳格なグルジア正教の教会もあり、周りにはフレスコ画が残っている
     
 教会の外の天井のフレスコ画  
 教会の中に入る、牧師さんがいて、教会内は撮影禁止、教会の横の狭い道の先には、岩から流れる聖水が貯まっている、そこを通り過ぎて、人一人が通れるような狭い急な石段を登って行く、たどり着いた場所は、狭い部屋、ここは、避難用の部屋で、洞窟都市の中でも、上の方に有るので、入り口が小さく見える
     
 洞窟都市の入り口は遥かに下  洞窟都市を歩く 
 ここから下って行くが、狭い通路、真っ暗なトンネル、急な階段、登るよりも下る方が、何倍も大変、特に膝が悪い私には、一寸も気が抜けない、

 長い下り坂、水平道に着いた時には、汗びっしょり、平坦な道を歩いて、駐車場に向かう、駐車場に着いた時には、喉はカラカラ、売店でジュースを買って飲む、美味しかった〜・・・・・・
   
 洞窟都市を下って行く  駐車場からみる洞窟都市
 3時35分、洞窟都市を後にする、疲れてバスの中ではウトウトする、5時、アハルツィヘの街に到着、ホテルに入り、バスタブで、ゆっくり体を休める、

 7時、ホテルのレストランへ、レストランではテーブルは2客、一つのテーブルに座ろうとすると「此処は酒を飲む人のテーブル」と言われて、慌てて他のテーブルへ行ったが、席は満席で移動できず、

 肩身の狭い思いで食事を取るが、流石に食欲は無くなった、前にもお酒を飲む人のテーブルに迷い込んで?「酒の飲めない人が居ると雰囲気が壊れる」と言われた事もあったっけ・・・・・・・気を付けなくては・・・・・・

 梅ジャムが出る、肉に付けて食べると、美味しい、食事が終わったら、早々に部屋に引き上げる、今日も良く歩いたので、疲れて直ぐにねてしまう