7日目(7月23日) バドゥム滞在
今日から、このホテルで3泊する、予定では4泊だったが、暴動の為に入ることが出来なく、ようやく待望のザンスカールで過ごす事が出来た、今日も良い天気、ここは標高3565m
朝食は8時、お粥などが出る、9時に出発、車はザンスカールの車に変わるが、昨日の車に比べると、古くなった、今回は3号車、女性3人
車は道路工事が行われている道を走る、この道路はレーは続く道、まだ開通していないが、開通すると、一日でレーからザンスカールの中心地バドゥムへ来ることが出来る
道の完成までは、後、5〜6年かかかるとか、沢山の人が働いているが、仕事は進んでいる様には見えないが・・・・車は停まる、ここからは、対岸にカルーシャ僧院が見える
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対岸から見る、カルーシャ僧院 |
ザンスカールで一番大きな僧院、こんな岩山に良く建てたと感心する、車に乗り、出発、左手には川が流れている、道の先に緑の畑が見えてきた、トンデ村だ
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岩山の上に建つトンデ僧院 |
緑豊かなトンデ村 |
トンデ村は、緑豊かな村、畑には麦が植えてある、ジュルドの村で見た麦に比べて、背も高く、茎も太い、豊かな土地だろう・・・・遠くに子供たちの声も聞こえる、写真を撮った後、再び、川の下流方面へ向かう
道路には馬が歩いて来ると、車は通り過ぎるのを待つ、白い仏塔が、真っ青な空に映えて綺麗だ、遠くに緑が見えてくると、そこには村がある、空気は澄んでいるので、日差しが強い
草原でトイレ休憩、ここには公衆トイレが完備されている、その近くには、岩が赤い、顔料に成る様で、仏塔の色づけに使うとガイドの説明、
川の傍に出る、雪解け水で、灰色の水が、大量に流れて要る、恐ろしいほどの水量、車は山の上に登って行く、
駐車場に車を停めて、石の道を旧王宮を目指して登って行く、石がゴロゴロしているし、暑いし、標高が高いので、ゆっくりと登るが、それでも息が弾む、途中に仏塔があり、石に経文が書いてある、
段々上って行くに従い、眼下にはザンラの村が一望できる、遠くにはザンスカールの山々
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旧王宮跡から見るザンスカール川とザンラ村 |
登る事、15分程で、ようやく旧王宮跡に到着、
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旧王宮跡 |
狭い入り口を入る、中は薄暗い、昔の居間だった場所に入るが、天井は狭く、窓も少ないので、息が詰まりそう・・・・・狭い階段を上って行く、屋上の近くには、小さな仏間があり、仏像が鎮座している、ここをお詣りする人も、居るだろうか、仏像にはカタが掛かっている
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旧王宮跡の仏像 |
旧王宮跡の屋上から |
ハンガリーの旗 |
ここでは、ハンガリーから来た女性2人が、城の修復工事を行っている、
9世紀に即位したランダルマ王は、仏教を廃止し、ボン教復興を試みた為に、僧侶に殺害されてしまう、一説では、その息子が逃げてきて、3人の息子にラダック、ザンスカール、スピディに領土を分け与えた
ラダック、スピディは、他の勢力に滅ぼされたが、ザンスカールには、ザンラ王朝として、名目だけだが、血統は続いている(添乗員の資料から)
急な階段を下りて、石のゴロゴロした道を下り、ようやく駐車場へ、車に乗り、新王宮へ、ここも古くなり、新しい王宮が出来ている、ここには王様が見える、新王宮を王様の息子、皇太子(大学生、夏休みの為に帰省している)に案内をしてもらい、室内を見学する
沢山の写真が並んでいる、この一族から出た高僧の写真、ここを見学した後、現在王様の住居へ、逢ってもらえるとの事で、二階の広い居間へ、
皇太子にお茶を入れて貰う、そこで3日前に起こった暴動の話をされる、イスラム教徒の男性と、仏教徒の女性が駆け落ちをしたのは、同じだが、途中で警察に保護された女性が、バドゥムの警察署に戻ってきた、
仏教徒の住民が、警察署に押しかけて、騒ぎだし、けが人数人、公共の建物が壊された、今まで聞いていた話、しかし、王様の話によると、仏教徒の人が警察署に押しかけはしたが、暴力はふるっていないと言う
暴力を振るったのは、カシミールから来た警察官たち(イスラム教徒)外出禁止令をだし、水汲みに来た女性や、暴動を知らないで来た旅行者たちが、警察官から、殴られたとか、騒ぎに便乗して、店の窓ガラスを割ったりした様子
多分、これが真相かも〜宗教は争う為に、有るのではないだろうに・・・・・・
1時間ほど、お邪魔した後、王宮を後にする、王様は、今は象徴的な王様で、政治的権限は無く、住民の相談、交渉などをしているとか・・・・・・・王宮も、周りの住宅に比べて、少し大きな家の感じ、
昼食は、村のなかにあるチョモ・コンパ(尼僧院)で食べる、車を降りると、沢山の村人が集まっていた、尼僧院の一室を借りて昼食を食べる、焼きそば、お握り、茹で卵などなど・・・・・・・
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尼僧院から見るザンラ村 |
白いライオン(雪ヒョウ) |
ダライ・ラマ14世の写真 |
食後はチョモ・コンパの集会所などを見学してから、ザンラ村を後にする、同じ道を帰って行く、
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旧王宮跡 遠望 |
ヒマラヤ山脈 |
帰り道、旧王宮跡を遠望する、小高い山の上に建っているが、生活するには不便だと感じる、遠くに雪を被ったヒマラヤの峰々が見える、
やがて、メーンの道路を外れて、山の上に登って行く、古い仏塔が3体、並んでいる、緑の仏塔は金剛菩薩、赤い仏塔は、文殊菩薩、白い仏塔は観音菩薩を表していると言う、トンデ僧院へ到着
トンデ僧院・・、カギュ派の祖師であるマルパによって創建された、この僧院は、後にゲルク派に吸収され、現在はカルシャ僧院と同じくザンスカールで大きな勢力を持つゲルク派の僧院となっている、
車を下りて僧院へ歩いて行くが、眼下にはトンデ村が一望の元に見渡せる
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眼下に広がるトンデ村 |
ツァラップ川とドタ川の合流点 |
二つの川が合流して、ザンスカール川となって流れていく、
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トンデ僧院から見るトンデ村とザンスカール川 |
秋になり、麦が色づくと綺麗だろう・・・・この僧院で、7年間、日本に滞在していて、今は帰国して、トンデ僧院の僧院長をして見える高僧を訪問、僧院の中の私宅へ招待して頂き、、お茶を頂く、
日本で何が美味しかったですか?の質問に、ラーメン、牛丼と言われて、大笑い、日本語も上手で、気さくな高僧だった、日本にチベット寺院が有ると、初めて知った、
僧院長の見送りを受けて、ドンデ僧院を後にする、
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ドンデ僧院の入り口の仏塔 |
帰り道 |
ウフスティー村から |
ホテルの近くまで来てから、狭い道を入って行く、途中で車を下りて、畑の横にあぜ道を歩く、民家が見える、今日の最後は、ここウフスティー村で、民族舞踊を楽しむ、
一軒の民家の中へ、広い居間で、お茶を頂きながら、踊りを見る、私の横には、この家の子どもだろうか・・・一緒にカメラを覗きながら、話を?する、
すっかり、子供たちと仲良しになる、この子達の、母親も踊り子で、踊っている、カメラ越しに踊る母親を見るのは、面白い様子、子供たちと遊んでいると、急に帽子をかぶせられ、踊りの輪へ
何時もは絶対、参加しないのに、今回は一緒に踊る、もうここには来る事も無いだろう、旅の恥はかき捨てかな・・・・・・・愉快なオバサン踊り子たち、後は外で、皆で写真を撮る
もう夕方だと言うのに、子供たちは近くの水たまりで、水の中で遊んでいる、冷たくないのかな〜沢山の踊り子たちに見送られて村を後にする、
7時15分より夕食、モモや野菜が出る、部屋に帰り、バケツ一杯のお湯を貰い、簡易シャワー、今日は良く歩いたので、足が痛くなる、湿布を張ってから、お休み
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