5日目(4月6日) パロ〜テンプー

 今日はこの旅行で一番楽しみにしていた「ツェ・チュ」と呼ばれるお祭りを見学する日、今日も良く晴れている、6時半の朝食にはパンを始め、お粥、玉子焼きなどが出る、ブータンの食事は辛いと聞いていたが、朝食に関しては今の所、問題なし
朝食 ホテルの前の藤の花 第5代国王
 ホテルの玄関には、去年11月に戴冠式を終えたばかりの5代国王の写真が飾ってある、現在29歳、独身、ハンサムな国王、4代国王はお妃が4人、それも皆姉妹、4人の姉妹が皆、国王のお妃とは・・・・理解に苦しむが、5代国王の母親は第3婦人との事、五代国王も複数のお妃が来るのか・・・・・・と思ったら、前の国王がお妃が4人居る事が、批判されているとかで、新しい国王は、多分一人だろう・・・・との事、どんな人がお妃に選ばれるだろうか?   お妃になる人も・・・・大変だろう・・・・・日本みたいに、

 7時15分にバスに乗る、10分も行かない内に、今日のツェ・チュの会場であるパロ・ゾンに到着、バスを降りると、大きなゾンが川を隔ててそびえている、
パロ・ゾン
 パロ・ゾン・・・・・・伝説によればパロ・ゾンの元になった寺は、チベット帰りの僧によって15世紀に建てられた、1645年、この地を訪れたシャブドゥ(ブータンを統一した人)がそれを譲り受け、翌年に現在のゾンの基礎となる大建築に着工、しかし、1907年に火災により全焼、再建され、ゾンは僧院と行政機関の役割を持つ

 現在、僧は200人、8〜9歳頃から寺に入り、一生、妻帯する事も無く、僧として過ごす、行政機関に勤務する公務員は、毎日、ゾンへ通勤する、バスを降りて橋を渡る、この橋は映画「リトル・ブッタ」の撮影に使われた事がある、神聖な場所であるゾンに入るには、男性はゴの上に「カムニ」と呼ばれる白い布をかけ、女性はキラの上に10センチ程の幅の、帯の様な「ラチュ」を付ける

 このカムニにも身分によって色が違う、白は庶民、赤と黄色は村長、赤は高級官僚、濃い赤は大臣クラス、黄色は国王とジュケンポ(大僧正)、ガイドとドライバーも白いカムニを付ける、観光客も、襟のある服を着る、
橋を渡る 橋のたもとにいる老人 ダルシンのある道
 木製の屋根つきの橋を渡る、橋の側には楽器?を持った老人が居て、太鼓と鐘を鳴らしている、色とりどりのダルシンが道の両側に建っている道を登っていく、こんな坂でも、昨日の登山の名残・・・・・・・か、足が痛い、やがてパロ・ゾンの中へ
ゾンの中庭 ウゼ(本堂) 六道輪廻図
 ゾンの中庭からは、4方を回廊が取り巻いている、、一段と高い建物はウゼと呼ばれる僧院の本堂、壁には沢山の壁画、インドでも見た「六道輪廻図」、無知、ねたみ、過剰な欲望を無くする事が仏の教え、ブータンでは転生を信じ、来世でも人間に生まれてくる事を願う、何故なら人間に生まれたら、功徳を積み、如来の住む天界に行けると信じているから・・・・・・

 ウゼの中を見学した後、ゾンからパロの町を見る、眼下に広がるパロの町は田んぼが広がり、山の中腹には人家やホテルが立ち並ぶ、手前の立派な宮殿は、王様が海外に出かける時に泊まる為の宮殿、空港は王様の住んでいるテンプーには無いので、前日からここに泊まっていたと言う、今は道が良くなって、テンプーから車で来ても間に合うようだ・・・・
パロ・ゾンから見るパロの町 パロの町     手前の立派な建物は宮殿
 中庭に出ると、今日のツェチュに出る人達が集まっている、それを写真に撮る観光客、笛を吹く練習をする人、踊りの練習をする人、祭りの前のワクワクする様子など見ている、その周りで、一段と飛び回っているのが、天狗?の面を被った道化師「アツァラ
記念写真を写している娘さん達 踊りの練習 演奏の練習
 9時20分、いよいよデアンカ広場で祭りが始まるので、私達は移動する、途中の階段の所で行列を待つ、やがて、道化師のアツァラを先頭に楽団が続き、その後、今日の出演者が続く
アツァラを先頭に行列 ツェ・チェの出演者達 黄色のカムニを着た住職?
 石段に座って写真を撮っていたら、急に立つように言われる?・・・沢山の僧の中に、パロ・ゾンの住職?が通る、慌てて手を合わせて見送る、最後はゾンにいる僧侶の行列、その後を私達も付いていく、会場の入り口には、小さな仏壇を開帳している在家の僧?がいる、添乗員に「とても珍しい物」と云われて、写真に撮る、仏壇の中には小さな仏が見える、お参りをして賽銭も置く
持ち運べる仏壇 仏壇の中 アツァラによるパホーマンス
 会場のデアンカ広場には、もう沢山の人が集まっている、私は一番前に敷物を敷いて座る、アツァラによる寸劇は始まっている、手に持っているのは木で作ったホー(男根)それを取ったり、投げたり・・・・・その合間には、見物する人達の中に入って、ホーを目の前に突き出したりする、若い娘さんに抱きついたり・・・・・・・本当にこの人・・坊さん?

 やがて、太鼓や笛で演奏する人達に続き、着飾った僧達の行列、セルデン・ベーコツ(金襴行列)いよいよ、ツェチェ祭の二日目が始まる、独特の笛の音、太鼓の音、何となくワクワクする、このツェチェは近郊の村からも見に訪れて、男女の出会いの場所にもなっている、海外からの観光客も多い、
道化師アツァラ 何もホーを向けなくても・・ セルデン・ベーコル(金襴行列) 冠の舞
 金襴行列の後に、頭に木の枝で出来た冠を被った人達が踊る、お坊さんでは無くて、一般の人かな??相変わらず、アツァラは一緒に踊るのか・・・・邪魔をしているのか・・・・・・笑いを誘う

 大きな面を被った踊り手が登場する、音楽に合わせて飛んだり、跳ねたり、しかし、面は大きいし、着ている衣装も重そう、それに見ているだけでも暑いのに・・・・・踊るのは大変、これが閻魔の踊り、ツェチェは出し物が決まっている、
シンジェーヤブユム(閻魔の踊り) 娘さんの踊り
 大きな面の口が開いている、ここから外を覗く様に成ってはいるが、頭がグラグラしないだろうか・・・・・閻魔の踊りの後は若い娘さんの踊り、今までの音楽とは違い、なんだか民謡?・・・・・日本の盆踊りみたい、ここでも、娘さんの仕草で踊るアツァラに思わす噴出す、・・・・・・・仮面の下の顔を見てみたい、

 やがて、黒い帽子を被った人達の踊り、シャナ・ンガチャム(黒帽打鼓の舞)、太鼓を打ちながら激しい踊り、なんとこの踊りを50分連続で踊る、踊り手は若いとはいえ、この暑さの中で激しい踊りには脱帽する、修行とは言え大変
シャナ・ンガチャム(黒帽打鼓の舞)
 目の前の踊っているお坊さんはイケメン・・・・・この男性も一生妻帯する事も無く終るのかと思うと・・・勿体ないなぁ〜・・・・踊りが終盤になるに従い、回転するときにはフラフラする踊り手も出てくる、無理も無い・・・・・・長い踊りが終る、幕間になると、娘さん達の踊りやアツァラによる寸劇が始まる、
踊りの合間に娘さん達が踊る 会場を楽しませるアツァラ 祭りを楽しむ人達
 この頃に成ると、暑いし、見ているのも疲れてきた、ツアーの4人程は帰られた、このパロのツェチェは5日間、行われる、やがて動物の仮面を被った、上半身裸の踊り手が登場、この人達も若くて10代位かな?・・・・・被っている動物の面は皆それぞれ違う、大きく跳んだり、跳ねたりとこれも激しい踊り、手には短い棒を持っている、棒ギンの踊り
棒ギンの踊り(チャム) 会場を後にする
ツェチェ祭り・・・・・・・ツェチェとは月の10日を意味している、パドマサンババ(グル・リンパチェ”至宝の師”)の生涯の12の重要な宗教的事件は各月の10日に起こったとされている、ブータンの各寺院やゾンではそれぞれ特定の月の10日前後に年一度の法要を行う、法要の最中に「チャム」と呼ばれる仮面舞踊が僧によって行われる、チャムは悪霊を封じる儀式であり、集まった信者に目に見える仏法を説く教訓劇としての意味を持つ

 やがて時間になり、まだ祭りは終っていないが、帰る事になる、楽しませてくれたアツァラに握手をして会場を後にする、時間があればもっと見たかった、帰る頃になると、急に空は暗くなり、バスまで歩いていく途中に雨が降ってきた、朝は良く晴れていたのに、山の天気は気まぐれ、

 ホテルに帰って、レストランで昼食、荷物を出して2時にホテルを後にする、バスはパロ・ゾンの上にある「博物館」へ、山の上に建つ博物館は、昔はパロ・ゾンの見張り台として立てられて建物、ここからはパロ・ゾンとツェチィが行われているデカンカ広場が良く見える、午後から祭りが始まっている、
博物館(昔の見張り塔)から見るツェチェ祭の会場デヤンカ広場
 博物館の中に入る、中は円形になっていて、入り口が4階、上に登っていく、写真は禁止、4階には10世紀時代の経典、古い仏塔、などなど・・・・・・最上階の6階、入り口を入ると仏教の伝来を象徴する立体曼荼羅がある、赤い帽子の「ガギュウ派」黄色の帽子の「ゲルク派ドゥク派「」「ニンマ派」などの立体曼荼羅が4面になっている、日本で目にする事の無い、男女の歓喜仏(ミラレバ)等が、ある、
博物館 立体曼荼羅  (パンフレットより)
 緑の仏でミラレバ、観音菩薩の涙から生まれた緑ターラ、白ターラなどは日本では目にする事が無い、でも、マハタラ、マハは大きい、タラは黒い、日本の大黒天など、日本の仏もある、大黒天は仏教の守護神、6階から4階まで降りて、そのまま1階まで下りていく、昔の日常品などが展示してある、1階が出口、1時間ほど見学してから、バスに乗る、

 パロの郊外に出て、パロ空港を望む辺りから山の上に登っていく、九十九折の道を登るに連れて、段々と視界が広がる、やがて大きな仏塔がある場所でバスを降りる、

 この仏塔(チョルテン)は、ブータンでダジョー(貴族。高官などに送られる称号)の称号を持つ日本人の西岡京治氏の仏塔、小高い丘に建っている、西岡さんは1964年、国際協力機構から農業指導で奥さんと赴任した、28年間、近代稲作技術の導入、野菜栽培、ジャガイモやリンゴの輸出換金作物の栽培振興、など、ブータンの為に貢献し、1980年に長年の功績により、ダジョーの称号を送られる、

 1992年に59歳の若さで亡くなり、遺骨の一部がこの仏塔に入っている、、異国で活躍されている日本人の事を聞くと、何となく自分までが嬉しくなる、雨は止んだが風が強い
西岡さんのチョルテン(仏塔) 周りの田園風景 チュゾムの3体のチョルテン
 周りには田園風景が広がり、日本と同じような景色、チョルテンの横には大きなマニ車があり、今日も女性がお参りに来ていた、バスに乗り山を降りて行く、一昨日通った、チュゾムに付く、橋を渡りチックを受けている間、対岸にある仏塔を見る、ここにはブータン式、ネパール式、チベット式の3体のチョルテン(仏塔)がある、

 ここを通り過ぎ、首都のテンプーへ向かう道は、綺麗に舗装された二車線の道、バスは快適に走る、6時にテンプーのホテルに到着、ホテルはテンプーの中心地、ホテルの横にスーパーがあるので覗いてみる、品物は豊富だが、インドや中国の製品が多い、

 夕食後は9時半ごろにベットに入るが、夜遅くまで近所で騒ぐ声がうるさい、やはり都会?