12日目(4月13日) タシヤンツェ〜ランジュン

 朝、早く起きてホテルの近くを散策、のどかな田舎の風景が広がっている、遠くには雪山、朝が早いので、人は居ない、日本の田舎の風景に良く似ている、犬も居るけど・・・・寄っては来ないけど・・・鳴きもしない、
ホテルの周辺 遠くに雪山が・・・
 屋根つきの橋を渡っていると、急に上からパトカーが走ってきた、何だろう?・・・・・その後ろからジュケンポの乗った車、その後ろにはお付の人達の車が5〜6台、アッと言う間に通り過ぎる、車は法要の行われるチョルテン・コラに向かった、
パトカーが走り去る 周りの家々 通学する子供達
 段々と、通学する子供達が歩いていく、お揃いの民族衣装を着た子供達、何時見ても可愛い、挨拶すると、はにかみながら、笑顔を返す、ここの子供達、皆「ハニカミ王子様や王女様」ばかり・・・・・・写真を撮るのに夢中で、荷物を出すのを忘れてしまい、慌ててホテルに帰り、荷物を出す、

 8時出発、最初はこの町にある「新しいゾン」へ、山を登っていく、山の上の見晴らしの良い場所にゾンは建っている、ここからは眼下にチョルテン・コラが一望出来る、
チョルテン・コラとタシヤンツェの町
 こうして見ると、山奥だと思っていたが、この町は広い斜面にある大きな町、この町は漆器の町として有名で、幾つかの工房があると言う、新しいゾンは古いゾンが不便な場所にある為に、新しく建てた物で、普通はゾンは役所と僧院が一緒になっているが、このゾンは役所だけで、お坊さんは居ない、

 役所だけだったら、こんな高台の不便な所に建てないで、もっと下の便利な場所に建てた方が便利と思うけど、ゾンは高い場所に建てるのが決まりだろうか・・・・・・・・・・バスを降りてゾンの中へ
ゾンの門 ゾンの中庭
 今までのゾンと同じような造り、ただ、僧院は無い、ここには70名ほどの役人がいる、私達が見学していると、車で出勤してくる人に逢う、30分ほど見学した後、漆器の生産で有名な町の中心地に行き、漆器工房を訪ねるが、今は漆器を作る時期では無くて、工房は休み、近くの店に入るが・・・・・興味が無いので、外で待つ、

 沢山の高校生位の学生が山の上から降りてくる、高校生達が、この町に日本人が住んでいると言う、学校で物理を教えている先生とか・・・・・・何となく学生達が「日本人?」と親しみを込めて聞いてくるのが判った、男子学生はゴの上にカムリを、女性とはキラの上にラチュを掛けている、これからチョルテン・コラで行われる法要に参加する、
タシヤンツェの中心地 法要に参加する学生達 チョルテン・コラへ向かう人々
 9時、タンヤンツェの町を後にする、15分程行った所で、対岸に「旧ゾン」が見えてきた、橋を渡り旧ゾンに向かう、17世紀に建った旧ゾンは不便な為に、僧院だけがある、中に入ると僧が2人だけ・・・・・・他の人達はジュケンポの法要が行われるチョルテン・コラへ行っている様子、二人の僧が中を案内する、

 中は広く、300年前の建物だが、壁画は新しい、この新しい壁画に「」を入れる為に、明日ジュケンポが訪れるとか、二人のお坊さんの写真を撮り、お礼にチッキで写した写真を渡す、ビックリした表情、この僧院には100人の僧が居る、この写真で、他の僧に苛められたりしなければ良いが・・・・少し心配、僧の胸にはジュケンポのバッチが付いている、
旧ゾン 留守番していた二人の僧侶 18歳 僧の胸にはジュケンポのバッチが・・
 ジュケンポ(大僧正)・・・・ブータンにおける仏教の大僧正、ブータンではジュケンポが亡くなってから、生まれ変わりの子供を捜すのではなく、高僧が次のジュケンポになる、高僧自体が誰かの高僧の生まれ変わりと信じられているから・・・・・チベットの仏教とは少し違う、ブータンでは誰もが努力しだいで、ジュケンポになる可能性がある、

 見学してから幹線道路に戻り、旧ゾンを振り返ると、二人の坊さんが赤い衣を振って見送っていた、感激・・・・・・・バスは昨日走った道路を引き返していく、相変わらず、山の中腹の下は千尋の谷、10時20分、また、滝の所から歩く、今回は、前回の様に置いてきぼりをされない様に、バスを降りず・・・・・・
沿道の風景 山焼き
 遥か対岸の山の上では山焼きの煙が見える、あんな高い場所に畑や家々があるのが驚きだが、車が通る道などは見えない、車に乗るのに、あの高い場所から川まで降りて、川を渡り、又登り返してこの道まで来るのかと思うと・・・・・・・気が遠くなりそう・・・・11時20分、道路沿いにある「トゥクスム村」でバスを降りる、
トゥクスム村
 屋根の上には石が乗っている、懐かしい〜、静かな田舎の小さな村、観光客もここでは降りないだろうか・・・珍しそうに見ている、小さな店があり、野菜や乾した魚などを売っている、ドライバーが買う、帰りの道中の食事に使う様子、どのようにして料理をするか聞いたら・・・・・・・・・・水で戻し、辛い唐辛子と一緒に煮るとの事、この魚はインドからの輸入品
村人達 乾した魚 村の店
 村の店の中でアラ(焼酎)が売っている、値段は2ドル、前に買った時は5ドル、半額以下、安いので皆は争うようにして買う、私は主人様に1本、買っていたので(5ドルで)、後は持って行くのが大変でパス、私が飲めるわけではないし〜

 ここには昔、タントンギャルが作った鉄の橋があったとの事で・・・今はその跡だけが残っているとかで、見に行く人も居たが、女性達は、村の生活に密着している雑貨店などを覗いたりして過ごす、12時、昨日ジュケンポを見た「ゴムコラ」へ、今日のゴムコラは静か・・・・僧侶たちはジュケンポの居るタシヤンツェに行ってるかな・・・・・・
ゴムコラ 仏塔とポセンチア 香炉
ゴムコラ・・・・・バドマサンババが瞑想したと言われる場所、本堂にはガルーダの卵、サンババの足跡などなど不思議な物がある、

 外に出ると大きな岩があり、バドマサンババと土着の神が争い、負けた土着の神が逃げ込んだ洞窟を封印した時に付いた指の跡という岩の窪み、一枚岩のつるつるの面を登ると大願成就の岩壁、子宝の石、などがある、
大願成就の岩 罪の消える洞窟 ゴムコラ全景
 人一人通れるほどの洞窟があり、この中を通り抜けると罪が消えると言う、ただし、何処へ通じているかは判らない、祭りには若い男女がこの大岩の周りを夜回る、それが、男女の出会いの場になっているとの事、お堂の外の菩提樹の下で昼食、今日もピクニックランチ、今日のご飯はパサパサ・・・・焚き方によって違うのかな?

 13時、食事を終えてゴムコラを後にする、30分ほど走ると、タシガンに掛かる橋に到着、今日は橋を渡り、チックを受けた後、山の上に登っていく、そして、最後のゾンの見学「タシカル・ゾン」へ
橋を渡る タシカル・ゾン ゾンの中庭 ここにもニワトリが居る
 タシカル・ゾンは山の上に建っている、入り口には阿弥陀仏、その横には白ターラーと青ターラーが守っている、このゾンも1,2階は役所、3階が僧院になっている、ウゼ(本堂)の中に入る、今の時間はお坊さん達の休憩時間?だろうか・・・・テレビのある部屋で沢山の子供の坊さんたちが漫画の「トムとジェリー」を見ている、微笑ましい、

タシガン・ゾン・・・・・17世紀、トゥク派政権の東部における支配力の拠点として作られた、最後の主要なゾン
タシガン・ゾン 昨日通った道 小さなお坊さん達
 高台に建つゾンからは、昨日通った道が眼下に見える、凄い道を走った〜、ゾンの門の所で、小さな、小さな坊さんたちに会う、今回逢った坊さん達の中で、一番小さいのではないだろうか・・・・・孫達の姿と交差して・・・・・・でも、無邪気に笑っている、どのゾンでも観光客が来て、役所では役人が仕事をしている、そんな中、羨ましい・・・とは感じないのかとガイドに聞いたら「観光客や役人達は別世界の人間」と意識しているだろう・・・・・・・と言われた、

 ゾンの見学の後、タシガンの町を散策する、ゾンの近くに町が広がっている、タシガンは小さな町、メーンの道路の両側には店があるが、品物はインドの製品が多い、しかし、町の一角では唐辛子を売っていて、それを大きな袋一杯買っていく人も居る
タシガンの町 ブータンのトラック
 バスが停まっている駐車場に行くと、派手な装飾のトラックが停まっている、ライトの所の絵は、まるで威嚇しているみたい・・・屋根の上の仏達は、仏教の国ならではの装飾だろう・・・・トラックの下では犬達が昼寝?をしている、30分ほど散策した後、バスに乗る、今日の宿は、ここからバスで30分ほど行った場所、タシガンには沢山の人の泊まるホテルは無いと言う

 川に沿って道は続いている、30分ほど行くと、沿道に新しい建物がある、これは職業学校とのガイドの説明、中には民族工芸、運転などなどの職業を専攻して学んでいる、町の中に入るが、バスは町を外れて山の上に登っていく、
ランジュンへ ランジュンの町 ホテルの道
 眼下に見えるランジュンの町は新しい建物が多い、4時、ランジュンのゲストハウスに到着、ここはバスの止まっている場所の横に5部屋、坂道を登った所に5部屋、くじ引きでバスの止まっている近くの部屋に・・・・坂道を登らなくて良かった〜
近所の子供 ホテルのテラス 日が沈む
 外に出ると、ゲストハウスの近くの子供達が二人遊んでいる、あまり可愛いので写真を写すが、二人とも固まっていた、今日のゲストハウスは部屋にはシャワーもトイレも無くて、共同で順番に使う、待つ間、テラスでティタイム、高台の為に、遠くまで見えるが、この町も、山の高い場所まで、家々がある、

 今晩はブータンでの最後の夜、夕食後はガイドやドライバー達とお酒を飲みながら、お互いに国の歌を歌い、別れを惜しむ、明日はもうブータンを離れると思うと、名残惜しさを感じる