5日目(4月25日)イシククリ湖〜ビシケク

 6時に目が覚める、寝すぎた・・・・・・・・あわてて外へ飛び出す、湖に日の出を見る為に・・
しかし、天気は曇り空、雲が多くて・・・朝早く起きて湖の側で日の出を待っていた人達も見えなくて
帰ってこようとしていた、残念!

 ホテルの広い庭にはリスたちが沢山朝の運動・・・・をしている、写真に撮ろうと思うが・・・早い
このホテルの庭、湖のプライベートビーチなどなどはソビエト時代の共産党幹部の保養地で在ったとか・
凄い施設にびっくりする、そして今、私が泊まっている現実に時代の移り変わりを実感する、

 ソビエト時代の名残であろうか?、朝食からフルコース、
前菜、チキン、ケーキとヨーグルト、リンゴとチーズスフレ、なんとも贅沢な朝食である、
9時半、イシククリ湖のホテルを後にする、

 湖の見ながら、昨日通った道をビシケクに向かって進む、湖の側にはカザフスタンの大統領の別荘などが建っている、このイシククリ湖の水は流れ出す川が無いと言う、
では、満水になり溢れてしまうのか・・・・と思ったがそうでもないらしい、
イシククリ湖の周りは牧草地が多いが湖の周りを一周するのにどの位かかるか?聞いてみたら
一日掛かると言われる、それほど広い湖である、一度ゆっくりと滞在してみたい

 9時半にホテルを出発して湖が見えなくなる地点まで1時間半掛かった、ゲートをくぐる
11時10分、道を少し外れた場所でトイレ休憩、周りを見渡して警察官のいないのを確かめる
12時半、トクマクの町に到着、ここの民家で昼食を食べる事になっている

 一軒の家に入る、中にはこの間のカザフ族の民家の様にテーブルにはたくさんの御菓子と揚げパン
家族は夫婦に娘さんが3人、沢山の前菜を前に「オーミント(イスラム教徒の戴きます、ごちそうさまの
意味)」をして、ペリメン(水ギョウザ)とビラフを戴く、

テーブルに並んだ料理 民家訪問、近所の人も一緒に ライラックの花

 一番下の娘さんは3歳、可愛い盛り、持ってきたインスタントカメラで写真を写して渡す、
何事かと近所の人達も集まって来る、皆で記念撮影、楽しかったひと時

 キルギス族の皆さんと別れてバスに乗る、バスは昨日の同じ道を走るが、途中で山の方に
向かっていく、天山山脈が近くなってくるが、曇り空、山ははっきりとは見えない、
14時、ブラナへ・・・・・バスを降りて先ずは小さな博物館へ

 たいした物は無い、そして野外博物館へ、ここのシンボル、ブハラの塔
その横には沢山の石人が・・・・・この石人、じっとブラハの塔を見ている、時代の移り変わりを
見ていただろうか・・・・・、

ブラナの塔 ブラナの塔を見る石人

 ブラナは天山南道と天山北道の合流点として栄えた町、シルクロードを旅した人達も、この塔を
眺めていたのであろうか・・・・・、塔の上に登る事もできるので、ツアーの何人かは登られた、

 ブラナの塔からバスで30分ほど走った所に玄奘三蔵が立ち寄り、李白が生まれた町、
アクベシム(砕葉城=スイアーブ城)の跡がある、
広い草原の中に、穴が掘ってあるだけの所、「ここが?・・・・・」
お金が無くて、発掘がストップしているとの事、まだ新しい国だもの、仕方がないか・・・
ここを観光しているのは私たちだけ、近くで農作業している人が珍しそうに見ている

草原の中の遺跡、アクベシム(砕葉城=スイアーブ城) 発掘途中

 ビシケクの市内に近づくと、車が多くなって来た、でも、日本に比べると少ないが・・・
トロリーバスが走っている、トロリーバスの車体には日の丸が書いてある、これは日本が寄付した
との事、思わぬ所で日本との結びつきを見る

 17時、前に泊まったビシケクほホテル「ピラーナ」に到着、部屋は5階、
今回は山が見える部屋で在るのに雲が多くて肝心の山が見えない・・・・・・・ガッカリ、
夕食はホテルから15分ほど行った所の中華料理のレストラン、世界中、何処の国でも中華料理が
ある、ファダリレストランで中華料理に舌鼓を打つ

ビシケクのホテル ビシケク市内のレストランで中華料理

 今日がキルギスでの最後の夜、