私はどうしてここにいるのだろう。
そういえばここはどこなのだろう。
私は誰なのだろう。
数瞬前のことを思い出してみる。
そう、突然目が覚めたのだ。そしたらここにいたのだ。
さらに思い出してみると、少しずつだが記憶が戻ってきた。
記憶は一つ一つ新しい順に思い出してきた。
そう、私の名前は美弥。
そうだ私は死んだんだ。私はもう78歳で、子供達や孫達に看取られて。
特に思い残すこともなかったのだから先に他界した夫に会いに行こうとしていたのだ。明るいほうへ向かって。
なのに私はなぜかいけなかった。
あの先に行けば夫が待ってるはずなのに。
そして私は選んだのだ。四国へ行くことを。
ああ、そうか、ここは四国なのだ。
どうして四国に来てしまったのだろう。
死者にとって、いつからか四国は特別な場所になっていた。
四国は死んで成仏できずにいる何かこの世に遣り残した人がその無念を晴らして成仏する為に遍路する場所と知られるようになっていた。
でも私には無念などないのに。
釈然としないもののこうしてても夫のもとにはいけないのでとりあえず他の人たちにならって遍路することにした。こういう立ち直りのよさは生前のままだ。
遍路の順は聞いていた通り元来の順打ちではなく、逆打ちだ。一番の霊山寺で遍路の準備をすると次は八十八番の大窪寺へ向かうのだ。
この文明化社会、歩いて遍路など生前は考えてもみなかった。だから最初は遠足に来たような感じだった。しかも疲れ知らずらしい。幽霊ならあたりまえなのか。しかし夜になると皆休むのは生前からの習慣だからだろうか。
しかし数日まわってみても自分の遣り残したことに思い当たる節がない。
ただ、その間に何回か不思議な青年に会った。
黒髪の青年。
歳は二十歳を少し越えたくらいだろうか。3番目の孫と同じくらいだ。身長は自分よりかなり大きい。
一番の特徴は彼の瞳だろう。精力にあふれていて意思の強そうな瞳。それでいてわが子を見守るような優しい瞳。
彼はある日突然現れたのだが何も言わずただ自分の横を歩く。
ときに険しい山を登るときは先に立って自分の手を引いてくれる。それがあまりにも自然で以前からそうだったようにするので違和感もなく受け入れていた。
自分の今までの思い出を彼に話したこともあった。
老人の思い出話なのに彼は自分のことのように幸せそうに聞いてくれた。
そのときの優しい瞳が好きで次々と思い出話をしていく。夫との出会い、子供を持ったときのこと、孫に囲まれた幸せな老後のこと。
ただ、どうしてもそれより前のことが思い出せないというと泉の底のような悲しい瞳をしてうつむいてしまったのだ。悪いことをして攻められているときに見せる瞳のようだ。そんな悲しい彼の顔を見たくなくて二度とその話はしなかったものの、それから会う彼は自分の話に笑ってくれていてもふとした瞬間に悲しい顔を見せた。
それから数日が経って足摺岬がもうすぐになったころ彼が始めて自分に話し掛けてきたのだ。
「美弥、足摺岬から死者は旅立っていくのだよ」
初めて聞いた彼の声はなぜだか懐かしい声だった。自分の息子より若い彼に呼び捨てされたのに不快に感じるどころかそれが当然のように感じた。優しくて包み込んでくれるような彼の声。何かを思い出しそうになった。
「この四国で遍路をしているうちに生前の未練や無念と向き合って、その思いを浄化して足摺から成仏して、あらたな人に生まれ変わっていくのだよ」
「でも私、すごく幸せでしたよ。未練なんてないの」
「そんなはずないよ。よく思い出してごらん」
彼は優しいが確固たる言葉で話し掛ける。そんなはずないと思うのだが思い出そうとする。するとなぜか自分の姿がどんどん若返っていく。そして10代の後半くらいでその若返りはとまった。
「俺が最後に家を出た頃の美弥の姿だね」
どうして彼がそんなこと知っているのだろう。彼とはここに来てから会ったはずなのに。それともずっと昔に会ったことがあったのだろうか。そうだ名前を聞けば思い出すかもしれない。
「あなたの名前は?どうして昔の私を知っているの?」
彼は今までに見せなかったような戸惑いの表情をしたが一瞬にして隠してこう告げたのだ。
「仰木高耶」
ある日夢のなかで浮かんだネタです。
美弥ちゃんがあの後どうなったのか気になって。
初めて書いた話なのでかなりいい加減なところもありますのでご意見、ご感想ありましたらどしどし教えてください。