カントリーロード♪(カナダ)

  


      ここではヒッチハイクの話をしようと思う。「ヒッチハイク」という意味を初めて知ったのは高校時代であった気がする。日本史のH先生がアメリカ横断をしたときの話をしたときにそれに触れた気がする。そして、身近な人では大学1年のときに友達が三重県の桑名駅にて試みたのが最初だ。また、この頃は某テレビ番組でヒッチハイクやアヒル型のボートでインドから日本まで横断したりするということが盛んに放映されていたので、私にとって「ヒッチハイク」という行為の距離も縮まりつつあった。「なんとなくやってみたいなあ、おもしろそうだなあ」、とは思ったがそんなことはおろか海外に出掛ける勇気もお金もなかったので遠い、異次元での世界にしか思えないところもあった。

     そのような思いから7年というときが過ぎ、思いがけない偶然が重なり今回めでたく?ヒッチハイクを行うことになった。それは2002年、4月29日のことであった。そのときはジャスパーというカナディアンロッキーの町にいたのだが、次の日に台湾で友達になったまるちゃんに逢いにいくことになっていた。日本で連絡を取ってこの日に会うという約束もしていたのだが、「何とかなるさ」という軽い気持ちでここまではなんとかやってきた。その日の夕方にまるちゃんに何とか連絡をとり、無事を喜んでいたのだが、彼の住んでいるバンフまでの交通手段がないことが発覚した。ジャスパーからバンフまではブリュスター社の定期観光バスが走っているはずなのだが、どうもまだ日程的に走っていないとのことである。ほかにも方法はないこともなかったが(カナディアンロッキーを外れてエドモントンからカルガリーへ一旦移動してバンフに入る)せっかく雄大なロッキーまで来てこれを見ないで帰るのはもったいなくてできない。そうこう思案しているうちにまるちゃんが「ヒッチハイクっていう手もなくもないよ」ということをボソッと言った。「ヒッチハイクー!?」、と電話では悲痛そうな返事をしてしまったが私の頭の中には「それも悪くはないではないか、むしろ千載一隅のチャンス」、という心の声が聞こえた気もした。電話を切ると、私はスーバーに足を運び、さっそくスケッチブックと、マジックを購入した。面白さ、期待もあったが、その反面犯罪に巻き込まれる可能性や、途中でつかまらなくなることもちらっと脳裏に浮かんだことも事実である。

      次の日になりレンタサイクルを返すと、意気揚々とアイスフィールドパークウェイに足を運んだ。ザックを置き、スケッチブックに行き先を記入する。そして車が来るのを待つ。田舎なので1分に1台くらいの割合しかこない。最初の車がやってきた。すかさずスケッチブックを見やすいように掲げ、道路脇で合図をする。しかしにべもなく通過していった。まあ、いきなりやって成功するわけがない。2台目がくる、通過していく。3台、4台目も通過。場所が悪いのかもしれないとも考えちょっとバンフ方面に移動し再び挑戦。それからさらに4台くらい通過して行った後に猛スピードで走り去っていったように見えたダッヂバンが止まってくれた。一瞬分からなかったけどすぐに気を取り直してそのバンに向かって私は荷物を持って駆け出した。なんとなく『魔女の宅急便』の一場面のような気がして面白かった。バンに近づくと、乗っていいようなことを行ってくれたので乗り込んだ。いざ出発すると安堵のの思いがしたが、車を観察してみると、運転手はスキンヘッドでサングラス、かなりマッチョなお方である。フロントガラスは割れており、室内はほこりだらけで、コーヒーメーカーが置かれていた。当然コーヒーが入っていたのだがマッチョな彼はコーヒーメーカーに直接口をつけのどを鳴らして豪快に飲んでいた。「ちょっとやばい車に乗り込んだかな?」、という気もしたのだがそれは杞憂に終わった。彼の名はポールと言い、みかけによらずずいぶんと気さくで親切なお方だ。話もはずみ、またバイク好きなので道中ずうっとバイクの話で盛り上がってとても楽しいひと時を過ごすことができた。どこまでも続く大陸的な道、アメ車に乗り、レッドツェッペリンがBGMでながれ、そしてヒッチハイクで移動している。まるで映画の一場面のなかにいるような気がして幸せだった。ふと自己実現を達成したかのような気さえもたらしてくれた。そうこうしているうちにわたしの最初の目的地であるアイスフィールドに到着したのでここで彼と別れを告げた。
     
 大胆にもここで観光を楽しみ、再び違う車を捕まえに行く。ポールの車に乗ったことで自信と楽観さがついたのだが、ここではなかなか捕まえるのが困難であった。なにしろ車が少ない。バンフ方面からジャスパーに向かう車は結構いたが、その反対方面は交通量が3分の1くらいになってしまう。10分以上何も来ない、ということもざらにあった。10台、15台と拒否されていくと、ちょっと不安になってきた。この雪だらけのところで一晩明かすことになったらどうしようかなどと、暗い方面にも思考が行ってしまう。そんな気分で待っていたら1台のフォードのセダンが止まってくれた。日本人の女の子2人組みだった。日本人だとあんまり旅情がないなあという気もしたがそんなことを考えてる余裕もなく、ありがたく後ろに乗せてもらった。名前を聞くこともなく、とりとめもないことを話していって時間が過ぎていった。途中スタンドによったり、ペイトレイクを見に車を止めたりした。だが、あいにくまだ冬なのでコバルトブルーのその美しい湖面を拝めることはできなかったのは心残りだが、自然には逆らえない。女の子の一人が、「私は青い湖が見たいの」、と言って相方にちょっとヒステリックになっていたがなんとも返事の仕様がなかった。その女の子達はレイクルイーズのYHに泊まるらしくて、私も自動的にそこまでいくこととなった。 
  
    レイクルイーズまで来ると、夕方6時を回っていた。ヒッチハイクを始めたのが朝10時半なので今日はここで泊まろうかとも思ったが、まるちゃんに会いに行く以上そんなことも言っていられない。パンと飲み物を売店で買い遅い昼食を取ってから幹線道路の入り口に行き、いざみたびヒッチハイクへ。バンフに近いこの地まで来るとバスわずかながら出ていたがここまできたらとことんこだわりたかった。それにタダで移動できる上に面白いので最高だ。今度は3台目くらいですぐに止まってくれた。30年以上前のマツダのピックアップで中は恐ろしく散らかっていたが、その人は両手の指がなぜかなかったので納得できた。この人はラフと名を名乗った。ハンサムで、礼儀正しい紳士で話も面白かったが、「なぜ指がないのか」ということについては終に聞く事ができなかった。しかし、運転はとても起用でハンドルも上手に回していた。1時間半くらいでレイクルイーズからバンフに到着し、このヒッチハイクによる『冒険』は終わりを告げた。

     今振り返ると、なかなか大胆な、悪く言うと無鉄砲なことをした気もするが、フィリピンに行って以来の冒険をしてきたような気がした。今後再びヒッチハイクを海外でやるかはわからないが、機会があればやってみたい気もする。この文章を見て「やってみたいなあ」、という気になったひとがいれば、私はぜひ一度くらいはやってみることをお勧めする。もれなく今までとは違った視点から人生について考える事ができるかもしれない。ただし、犯罪やトラブルには充分注意を払って行うことだけは警告おくが・・・。     




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