6日目(6月25日)ドゥシャンベ〜カライクム

 6時のモーニングコールの前には、もう目が覚めている、早く寝るので、早く目が覚める、年のせいではないと思うが・・・・
朝食はバイキングで、果物を食べる事が多い、昨日、ツアーの人が国際電話で日本に電話をかけ、その料金が1ドル、安い?高い?
部屋から見る風景 ロビー 朝食
 今日のくじ引きの結果は3号車、7時半出発予定が、車が来なくて8時に出発、ドゥシャンベの郊外に出ると未舗装の道路、一番後ろの為に砂埃が凄いが、3号車、エアコン完備、窓を閉めて走るので快適、8時40分、オソバットの町を通過、沿道にはスイカ、桃、トマトなどを売っている、

オビヒンゴ川沿いの道を走る、9時、バイザーバードの町、麦畑の中には紅花が作ってある、何に利用するのだろうか・・・・日本の様に、紅・・・それとも紅油、
麦畑が広がる 沿道の風景 山の上へ
 段々と山の上に行くに従って、麦畑からジャガイモ畑に替わって行く、それに連れてチェクも多くなる、10時40分、丘の上に高層住宅が見える、ラグーンの町、下の川ではダム工事の跡が・・・・・・見える、タジギスタンは深刻な電力不足になっていて、ダムを作ろうとしたが、資金不足になり、中国やロシアに援助を求めるが・・・・河の下流地区に当たる・隣国のウズベキスタンの「水が少なくなるの反対にあい、頓挫、

 川が自国だけを流れている日本とは違い、隣国も共有していると、色々と問題が出てくる、大変だと思う、
ラグーンの町とその周辺 沿道の風景
 前を行く2号車が遅れ気味、12時半、2号車の屋根に取り付けたキャリアが折れた!!!積んである荷物が落ちてきそう・・・・何とか補強したが、やっぱりダメで、キャリアを取り外して、近くの民家に預けてくる、帰りに持って帰るために、鉄パイプを溶接しただけの簡単な物、でも、この国では貴重な物だろう・・・・か

 13時25分、「秋野豊さんの慰霊碑」がある場所で車を降りる、1998年、国連のタジギスタン監視団の政務官として、勤務中にこの付近を通行中に、襲われて殉職される、タジギスタン人二人と共に、車ごと谷に落とされていたのを発見された、慰霊碑の前で冥福を祈る、
秋野豊氏の慰霊碑 殉職された場所
 昼間でも行き交う車も少ない寂しい場所、任務とは言え、こんな場所で、殉職された秋野豊さんの姿に心が痛む、
 
 2時、きれいな湖の近くのチャイハナで昼食、準備が出来る間、近くの湖を見に行く、「ブルーレイク」の名前のとおり、きれいなブルーの湖、子供たちが湖で泳いでいる、女の子達は、湖の隅の方で、洋服を着たまま、足を付けていた、
ブルーレイク 食事場所 昼食
 食事の場所は木立の中にテーブルが出ている場所、日差しが強いので、外は暑いが、湿気がない分、木陰に入ると涼しい、現地の人達は、休憩するのに木陰にベンチを出して、その上で寝転がっている、昼食に日本から持ってきたご飯と味噌汁が出る、現地で作ってくれたのは、ジャガイモを使った料理、デザートはスイカ、2時の昼食は、お腹が空いていて美味しい、

 昼食を終えて、車に乗り、段々と山の上に登って行く、途中の川岸には、戦車の残骸が残っている、1992年から1997年まで続いた内戦は、主な反政府勢力はゴルノ・バダフシャンを活動の拠点としていたので、ゴルド・バタフシャンから首都ドゥシャンベまでの道のりは戦闘地となり、その時の戦車が今も放置されている、

 10年前は戦闘地だった場所を走る、今は平和になったとは言え、同じ国の人同士が戦う悲惨さは、心に大きな傷を残すだろう・・・・・運転手や現地スタップの人達も、戦争を体験しているだろか・・・・・・
ハプロボト峠に続く沿道の風景
 沿道には小さな村々が点在している、この村もあの村も10年前には戦闘地で、人々はどんな暮らしをしていただろう・・・今は何事も無く、平和な村に見える、戦争を知らない(終戦はまだ幼児だった)私には、複雑な思いで沿道の景色を見る、段々と上に登るに連れて、周辺はお花畑が広がる、

 時間があれば、ここでゆっくりとお花畑を写したかったのに・・・・時間が無くて車は停車せず・・・・・・残念、6時40分、標高3232メートルのハブロボト峠に到着、車が止まるのも、もどかしく、外に飛び出すが・・・・・太陽は雲の中、時間が遅いのではっきりとは山の姿が見えない、
標高3232メートル、ハプロホド峠から見る風景
 はるか遠くには雪をかぶった山々がぼんやりと見える,草原の中には花々が咲いている、峠への登り道に咲いているほどの群落は無い、標高が高くなった分、少ない
ハブロホド峠に咲く花々
 下山に掛かる頃になると、薄暗くなってきた、急に車が止まる!!、故障したかと思ったが、運転手が降りて、山の斜面に咲いているアオイの花に良く似た花を採ってきて、私と同乗している女性陣にプレゼント・・・・・・・喜んで受け取るが、まだ、沢山の花が車に積んである、

 花をプレゼントする本命の彼女は誰だろう・・・・少なくとも私では無いことは確か・・・・・現地スタップの若い女性が同行している、多分彼女かな・・・・・・・・

 チックポイントを無事に通過して、8時10分、カライクムに到着、早速、今晩の宿である「民家」へ、普通の民家であるが、部屋が広い、家族で使っていた部屋を整頓して、私達に提供している、部屋の中は、絨毯が壁にもかかり、カラフルな部屋、
運転手のプレゼントの花 民家の部屋 夕食
 民家の前には川が流れている、トイレは野外、庭の隅にある、もちろん昔の日本のトイレ、しかし、川の側とは言え、暑い、シャワーがあるとかで、くじ引きで順番を決めて、使用するが、お湯が出なくて、水をかぶる、でも、水だけでも生温くて十分、夕食は庭の一角にテーブルを置いて食べる、

 食事を終えた後、急に停電・・・この家だけかと思ったら、隣近所も真っ暗、村中が停電、30分ほどで電気が付く、11時には絨毯の上に布団を敷いて寝る、初めての民家泊である、