3日目(3月17日) ラサ〜コンボギャムダ

 夜中に頭が痛くて目が覚める、水を飲んでトイレに行く事2回、朝はすっきりとしている、高度順応できた様子、7時の朝食はホテルのレストランで済ます、外はまだ、暗い・・・・8時ごろ、ホテルのベランダからポタラ宮を写真に撮る
ホテルのベランダから見るポタラ宮
 、ダライラマ14世がインドに亡命するまでの300年間、チベットの聖俗両界の中心地だったポタラ宮は、主を失いひっそりと、たたずんでいる、ここから見てもポタラ宮の大きさは判る、一度中も見学したかったのに・・・・残念
ホテルのベランダから見る周囲の風景
 朝日が昇るに従い、周囲が赤く染まっていく、空は少し雲があるが、青い、しかし、寒い、防寒服を着ていても、震えるほどの寒さ、今日の出発は旅遊許可書を取るために、出発は10時

 時間があるのでホテルの周辺を少し歩く、ホテルの周辺には建設中の建物があったり、取り壊された建物があったりと、段々と近代化になっている、良いか・・・・悪いかは・・・・・わからないけど、若い人達は歓迎していると聞いた、

 10時、6台の車に分乗してラサの街を後にする、道路は舗装されたきれいな道、道の横にはナカ川(幸せの川)が流れて、周りには麦畑が広がっている、ラサの街から離れて・・・・・・30分も走らない内に検問


 11時、遠くに頭が黒い鶴が沢山居る、車を停めて、ソォー・・・・・・・・・と近づく、こんなに沢山の野生の鶴を見るのは初めて
野生の黒鶴 鶴の居る周りの風景
 時々、1〜2羽は飛び立つが、ほとんどの鶴は人の気配に歩いて遠ざかるだけ・・・・人には慣れているだろうか・・・殺生を禁じているチベット仏教の国だから・・・・・鶴も危険とは思っていないかも・・・・・・

 鶴を見た後、車は快適に走る、遠くに雪山、川の側では、たくさんの人が作業をしている、これは植林、山の木を切ったので、洪水などが起こり、その為に植林をしている、

 やがて車はだんだんと山の上に登って行く、山の頂上近くには沢山の建物が見えてきた、チベット仏教、ゲルク派の六大寺院の1つ「ガンデン寺
ヤクとワンボル山に建つガンデン寺 眼下に広がる風景
 段々と山に登るにつれて、ガンデン寺の全景が見えてきた、見晴らしの良い場所で写真を撮る
ガンデン寺
 ガンデン寺はゲルク派の創立者である「ツォンカバ」によって創立された、最盛期には3000人以上の僧侶が居たとされが、1950年の人民解放軍の侵略や1960年の文化大革命で徹底的に破壊され廃墟となり、多くの僧侶達はインドへ亡命した、1990年代に主だった建物は再建され、今は400人の僧侶が住んでいる、

 駐車場に車を停める、地元の人であろうか・・・・沢山の人が居る、マニ車を回している老人が居て、皆が写真を撮っているので、私も便乗して写真を撮ると・・・・・・その老人はしっかりとモデル料を請求、ツアーの一人がキャンデーを渡して・・・チャラにした、

 歩いてガンデン寺に入るが、石段を登るだけで息が切れる、ここは標高3800メートル、富士山の頂上よりも高い、先ず集会堂へ、ここでは若い僧たちが、砂曼荼羅を書いている、
マニ車を回す老人 本堂へ 石段を登る
 砂曼荼羅は、前にテレビで見た事があるが、こんなに薄暗い場所で書いていたとは知らなかった、とても細かい作業で、神経を使う、写真は2元出すと写す事が出来たが・・・・・・フラッシュを焚かないと綺麗に撮れないし、フラッシュを焚いたら修行の邪魔になりそうで写真を撮るのを止めておく、

 集会堂からツォンカバの遺体が納めてある「霊塔殿」へ、ひときわ大きく、宝石を散りばめた仏塔があり、その中にツォンカバのミイラが収められている、ここでも、若い僧たちが先輩僧の指導も元、砂曼荼羅を書いている、息が掛かると砂が飛ぶので、皆マスクをして、書いている、気が遠くなりそうな作業、この砂曼荼羅も祭りが終ると、崩してしまうと言う

 その他にはダライ・ラマ4世の仏塔もあるが、これ以上、上に上るのは辛い、見学は2箇所で終わり、石段を降りてくる、日差しが強いので、歩いていると熱くなる、12時45分にガンデン寺を後にジグザグの道を下っていく、

 綺麗な川に沿って走る、ツアー人から「魚葬」の話を聞く、チベットは鳥葬は有名だが、魚葬もあり、遺体を切り刻んで、篭に入れて川に沈める、それを魚達が食べ、骨は別の場所に埋める、・・・・・・だから、チベット人は魚を食べないと言う、初めて聞いた!!

 1時40分、墨竹工かの町へ、この町のレストランで昼食、レストランの前の道路では牛が・・・・歩いている、ここはインド?・・と間違えそう・・・・・・でも食事は中華料理だった、
沿道の風景 墨竹工かの町 牛が・・・・・・
 2時40分、昼食を食べて出発、道は段々と山の上に・・・・・沿道には雪が見えてきた、そして雪山も近くに見える、こんな場所でも牛や羊の放牧が行われている、4時、パル・ラ(峠)に到着、車を降りるが・・・寒い〜
沿道には雪が・・ パル・ラ 標高5013メートル
 風が強くて、飛ばされそう・・・・早々に車に避難、遥か遠くには白い峰が連なっている、
パル峠から見る景色
 標高が高いが、あまり峠のイメージが少ない、ツアーの人達はルンタを買って、旅の安全を願い、峠で撒いたりしている、
10分ほど、写真を撮ったりした後、峠を下っていく、周りにはカラフルな屋根の家が見えてきた、このきれいな新しい家は政府が補助をして建てた家との事

 政府もチベット族に対して、相当気を使っている様子だが、お金で何もかも解決するやり方が、又反発するかも知れない、景色が良いので国内の観光地として発展しているとの事である、

 4時50分、検問、一人一人のパスポートを見ながら、手書きをしているので時間が掛かる、この道は、昔、お茶を運んだ太昭古道がある、石碑の所で車を降りる、
峠の下り 太昭古道の石碑 古道の村
 昔は馬に乗り、この道を通り、チベットのラサまでお茶を運んで行ったのか・・・・・・そんな思いで小さな村を見る、6時50分、今日の宿泊地、コンボ・ギャムダに到着、ここは標高3400メートルの山に囲まれれた小さな町、ホテルの部屋からは、雪山が見える、暖房の無い部屋は寒い、

 直ぐにロビーに集合して、近くのレストランで夕食、辛いマーボ豆腐が出る
ホテルの部屋から ホテルの部屋 辛い〜マーボ豆腐
 夕食を食べていると、急に添乗員から「チャムド地区の政府から、これから先には行く事を禁止するとの通達が来た」との話に、「えっ・・・・・どうして???」 詳しい事情は判らないけど、これから行く場所で暴動の情報があり、解放軍が集結しているとの事

 カム地方は危ないとの情報があったけど、チャムドは大丈夫と聞いていたのに・・・とアンさんは言っていたが、ではどうする??
大騒ぎになる、添乗員の説明によると、旅行を中止して、成都まで出て、それから日本に帰ると、成都から日本までの搭乗券は自分持ちで旅行代金の返金は関空で3万円、成田で2万円との説明、

 「エッ・・・・・・何故?」「中国では前払いが基本だから」と言われたけど、泊まりもしないホテル、食べもしない食事、乗りもしない車の代金を払うの?・・・・・・・これには皆も納得しない、私も同感

 では、中国で帰国予定の日まで過ごす事にした場合、(予定日の航空券は買ってある)何処へ行くか・・・・・・問題は山積み、とりあえず、この小さな町では、色々な手続きが出来ないので、明日はハーイーの町まで行く事に落ち着く、
もしかしたら・・・・・・禁止は取り消されるかも知れないし・・・・・・・

 その後はホテルから外に出る事が禁止された、まぁ〜小さな町で見る所も無いから良いけど・・・・・
シャワーを浴びてベットへ、