旅の始まり
私「今度フンザに行ってみない、素敵な所だって。」
主人「そこは何処の国だ?」
私「パキスタン。ただね、ここはイスラムの国だからお酒飲むのは難しいみたい。」
主人「お酒の飲めない所は行きたくない。」
私「だったら、私一人で行ってくる。」
こうして秘境専門のツアーに申し込み、旅は始まった。
平成11年8月9日〜8月20日
1日目 成田からイスラマバード
地方都市から東京へ出てそこから成田までは長い道のり、12時の集合に8時に付き14時に飛行機に乗り込む頃には旅の半分が終わった気分になりそう・・・・定刻より30分遅れて飛び立つとやがて機内にはコーランが鳴り響く、無事に着けるか・・着けないかは、アラーの神のおぼしめしか・・
北京を経由してイスラマバードには21時半、無事ホテルに落ち着いたのは夜の12時。時差は4時間あるので、長〜い、長〜い一日だった。
2日目 イスラマバードからペシャワール
外には雨が降っている、幸先は・・・どうかな〜、7時半にバスに乗り込む、バスの中には現地のガイドの人が乗ってきている、イスラマバードは思ったより緑が多い。パキスタン名物?派手な装飾をしたトラックが激しく行き交うイスラマバードを後に、郊外に出る。相変わらず派手な装飾のトラックは爆走し、その横を馬車がトコトコ、道端には山羊が草を食べている。そんな景色の中、タキシラ渓谷のジュリアン遺跡に着く。
ガイドが「新しい道路の向こうの山の方にはカメラを向けないでください」と言われて、バスを降りる。軍の施設でもあるのかな〜? 雨は止んだ。
小高い丘の上に僧院跡がある。昔は多くの僧が修行していたのであろうこの遺跡は、今は静かに眠っている。仏像が削り取られているところがいたるところに・・・・・心がいたむ。
遺跡を見ている私達の側に現地の人が私達を見ている。若い人達が「一緒に写真に入って」と仲良くカメラにおさまったが・・・・・・
見学を終えバスにもどった私たちに添乗員が「やはり山の向こうには何か重大な物があるのね、今秘密警察の人が私達を 見張っていたでしょう。」 「・・・秘密警察!?」もしかして一緒に写真に入った現地の人が秘密警察官?あ〜平和な日本・・・・そんな事思いもしなかった・・。
シルカップ遺跡に着く。シルカップ遺跡は紀元前180年頃にパクトリア王国のギリシャ人が建設した都市国家。ここは何世紀もの間、色々な民族が暮らした所、ここには多数の宗教が共存して仲良く暮らしていた様子。
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シルカップ遺跡 |
双頭の鷲のストッパー |
遺跡の中を牛が行く |
今のこの世界、ここの昔の人に学ぶべきだと痛感する。広い遺跡の中では、羊を連れた人がいたり、現地の人が「これは食べれる茸だ」と言われて茸を取ったりとのんびりしている。この茸、夕食に食べたが、不味くもなく、格別美味しくもない....。
博物館の中に入る。
遺跡から出た多くの仏像が陳列されている、ここの仏像は顔立ちがギリシャ系、撮影は禁止と言われていたので見ていると、私の肩をたたく人がいる。「??」 身振りでついてこいと言う、ついて行くと昔のコインを陳列する所に連れて行き「これを撮影しろ」と身振りで示す。せっかくの好意、喜んでビデオを回し撮り終わるとちゃっかりとお金を請求された、10ルピー(20円)払う。
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昔のコイン |
博物館内・・・10ルピー払って |
博物館の庭の芝刈り |
冷房の無い博物館は暑い、それでも外よりはまだマシ..。椅子に座っていると、さっきの人がまた来る。「ペン(らしきもの?)・・」を請求、100円で5本入っていたうちの1本を渡すと、彼は扇風機の風の向きを私の方に向けて立ち去る。ボールペン1本の風は・・・・・・・・・複雑な風だった。
バスは未舗装の道をペシャワールに向けて走る。ここではスピードを落とす事を知らないのかなあ〜、どの車も凄いスピードで走り去る。
ペシャワールのバザールを見学した後モスクに着く。明日の日食の為に外では講話が開かれている、話を聞く人も、祈りの為に身体を清めている人も皆男、男、男ばかりである。
モスクの中に入ると男の人の視線が集中する。モスクの中の装飾は美しいが、落ち着かない。ビデオを回していると子供達が寄ってくる。 ビデオの画面を反転させてみる、画面に自分達が写っているのを見て大喜び。沢山の子供たちに囲まれて・・・・・・・思わぬ所でおおモテ、皆男の子。今日の宿はペシャワールである。
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