17日目(10月9日) コルカタ〜デリー

 パトナ発の飛行機が夕方に成った為に、コルカタの観光時間が少なくなる、そんな時に限って、バスは25分の遅刻、8時25分、観光に出発、泊まったホテルは、セキュリティが厳しくて、出入りするたびに、荷物も人間もX線を通す、

 最初は花市場へ、ヒンズー教では、花は毎日、神に捧げるので、沢山の店と買い物客で賑わっている、
     
 花市場で 路上で売る人   花
 路上では、花びらを糸で止めて売る人が多い、ここでは、レイの様に、花びらだけを使う、マリーゴールドの花が、多く使われている、花は毎日、列車でミドナプール村からここへ運ばれているとの事

 小さな橋を渡ると、小屋があり、中にも花を売る店が沢山ある、そこでは、飾り花を作っている

     
 飾り花の店  飾り花  蓮の蕾
 綺麗な飾り花を作っている店を覗くと、職人たちに、これを写せと言われて撮ったのがクジャクの飾り花、どんな所に飾るのだろうか・・・・・・・蓮も売っている、蓮は仏教の花と思って居たが、ヒンズー教でも使う様だ、祭りには22万個を使うと言う、日本で、馴染みのある花もある、
     
 レイを編む  ケイトウの花  籠を売る店
 色々な花を組み合わせて、大きなレイ?(何と言うのかな〜)を編んでいる店もある、その近くには、花かごを売る店、狭い地域の中に、さまざまな花をうる店が密集している、

 やがて、狭い場所を抜けると、川の傍に付く、ガンジス河の支流のフーグリ川が流れている、その川では、沐浴する人、何時もの風景が広がっている、

   
 フーグリ川で沐浴する人々 
 大きな橋が見える、世界で3番目の吊り橋で、通行する人の多さは、世界で5番目との事、ここで少し自由行動、再び、バスの停まって居る場所まで歩くが、道端に小さな赤ちゃんが居る、どの位と聞いたら、生後1ヶ月との事、この不衛生な場所に・・・・・・・・日本では考えられない、たくましく育つだろう・・・・・・

 花市場では、ここで花を買う人達は、少しづつ寄付をして、それで食堂を作り、その食堂での食事は無料で食べることが出来ると言う、バスに乗る、バスは古い町並みの通って行く、

     
 沐浴場の横の寺院  生後一か月の子ども 古い町並み 
 マザーハウスに到着、狭い路地を入ると、マザーハウスがあるが、凄くきれいな建物、ここは、マザーテレサが暮らしていた場所で、永眠している場所、孤児院や死を待つ家などを総括するオフィス、建物にはシスターが住んでいて、想像していた場所とは違っていた、
     
 マザーハウス  マザーテレサの像  マザーテレサの石棺
 写真も限られた所しか、撮れなかった、早々に帰る、再びバスに乗り、10時45分、カーリーガート(寺院)へ到着、カーリー寺院の横には、マザーハウスの死を待つ家の白い建物がある、
     
 カーリー寺院  マザーハウス 死を待つ家  カーリー寺院周辺
 女神カーリーは、戦いの神のドゥルガーの化身した姿、ドゥルガーよりも、より凶暴になり、何時も生贄を求める、生贄を捧げないと、災いが来ると言う、寺院の中に入ると、カメラはバックの中に入れるように言われる

 ここは写真は厳禁だ、太鼓が鳴る・・・・・・ガイドが、今、生贄の山羊が殺された合図と言う、床を首の無い山羊が、引っ張られて行く!・・・・・・・床には血の跡

 生贄の場所を覗くが、私はパス、とても見る気がしない、見た人の話によると、血溜まりの中で、額に血を塗る女性が居たと言う

 平日には100匹、祭りには9200匹の山羊が生贄にされると言う、寺院が屠殺場と思えば、不思議ではないが、目の前で殺されるのを見るのは・・・・・・山羊が可哀そう、

 寺院の外で、少し自由時間がある、写真などを撮る、再び、バスに乗り、インド博物館へ向かう、途中で車窓から、ヴィクトリア記念堂を見る、博物館へ到着、写真を撮るのに100ルピー払う

     
 ヴィクトリア記念堂  博物館の仏たち 
 低い階段を上って行くと、巨大な塔門と欄楯(らんじゅん)が・・・・・・

 紀元前2世紀頃、インド中部のパールフットに建てられていた、イギリス人アレグサンダー・カニングム卿に1873年に、発見され、当時、ストッパー(仏塔)を取り囲んでいたこの欄楯は、4分の1が瓦礫に埋もれていたと言う、等間隔に並んだ柱には、民間信仰の神々や、動物などが浮き彫りされている
   
塔 門と欄楯  欄楯
 欄楯は、仏塔を囲む柵の様な物かな〜柱に描かれている浮彫は精巧、当時の生活の様子がうかがわれる、
     
塔 門  欄楯に描かれた神々 
     
 欄楯に描かれた当時の生活   
 欄楯の高さは2メートル、シュンガ朝の欄楯を見てから、そのまわりの仏像を見る
   
 ヒンズーの女神?  ブッタの像
     
 ヒンズーの神々  
 1時間の見学では、見たりない気分、博物館を出たが、ガイドが来なくて・・・・イライラする、ガイドが15分程遅れてきて、ようやく昼食のレストランへ

 飛行機の時間が追っているので、早々に昼食を済ませるが、今度はバスが来ない、レストランの場所には、バスは止まれなくて、周囲をぐるぐる回っていたが、渋滞に巻き込まれたとの事、

 ここでも、予定よりも遅れて、ホテルに帰るが、二人がシャワーを浴びるだけの時間が無い、服だけ着替えて、ロビーへ、2時半、ホテルを出発、沿道にはバラックが並んでいる

     
 インド国立博物館  バングラデシュの移民の家 
 この家はバングラデシュから来た人の家、インドでも大変な生活だと思うけど、バングラデシュよりは、ましだろうか・・・・・3時30分に空港に到着、ここでの手続きが、時間がかかり、直ぐに搭乗口へ、直ぐに飛行機に乗り込む

4時30分、 コルカタの空港から離陸、国内線は水以外は有料、1時間ほどでデリーの空港に到着、ここで、東京組と大阪組に分かれる、東京組は市内のレストランで夕食、私達2人と添乗員は国際線の空港へ

 7時20分にデリーの国際線へ到着、添乗員が搭乗手続きを済ませて、後は空港のベンチに座って、夕食、デリーの支店が手配して貰った弁当を食べる、久しぶりに日本食の弁当、美味しくて完食

 添乗員は、東京組を待つ、東京組は直行便がストの為に、1時05分出発に変更に成った様子、私たちは23時05分、予定通り、飛び立つ、直ぐに機内食が出たが食べれず


                  
18日目(10月10日)デリー〜香港〜関西空港

 香港に付くと、下りる人が多く、機内はガラガラになる、ようやく、日が昇り、明るくなってきた、朝食が出る
     
 空港で食べた日本食の弁当  機内食 香港〜関空間  関空へ
 12時10分、関西空港に到着、長かったインド旅行は終わった、友達と別れて13時16分のはるかに乗る、新大阪からは新幹線で、家路に付く、18日も日本を離れていたので、車窓からは、彼岸花が咲いている、秋になっていた、

 今回の旅は、平野に入ってからは、暑さ、人の多さ、汚さでクタクタに成り、体力の限界を感じた最高にハードの旅だった、今回も添乗員の旅日記を参考にさせてもらい、ありがとうございました、