管理人作成編パート2:
すべてのものには必ず長所と短所がある
(2001/04/15 UP)
人間は自分勝手なものです。自分が好きなもの、認めたものに対しては良い所しか見えなくなってしまいます。逆に嫌いなものは悪い所しか見えません。
人の付き合いでもそうですよね。好きな人・嫌いな人に対して見方を変えています。
でも、完全なものはこの世には存在しなくて、自分の好きなもの・人にも短所があり、嫌いなもの・人にも意外なところに長所があったりします。
もっともこれを見つけるのは至難の技であり、すべてを平等に見れる様な神様みたいな人は少ないでしょう。
でも、注意したいですよね。自分がその様な偏った見方をしている事は、逆に言えば
人にも自分に対して偏った見方をされているんです。
とても難しいですけど・・・気をつけたいですね。
好きな人に振られたという理由で、その人を嫌いになるのはおかしい
(2001/04/15 UP)
人を好きになった事はありますか?人を好きになる事はとても良いことです。
異性を好きになる事もとても良い事です・・・が、振られたときに
「やっぱし、あの人の事は好きじゃなかった」とか「あいつを見ると憎たらしい」とか逆に憎悪を、好きだった人が嫌いになってしまう事があります。
周りを見ていると確かにその様な人はいますが、私は疑問に思えて仕方ありません。
だって人を好きになる事は、その人の事を尊敬する事にもなるんですよ。
それを振られたから嫌いになったなんて・・・
表面上しか見ていなかったらそういう事もあるかもしれませんが、
私から見れば基本的にはLOVEがLIKEになっただけになると思います。
私は結構ふられていますが、その人達に対してはいまだに尊敬しています。
お話ししたいなぁと思っています。他人から見れば「単なる未練だよ」と言われるかもしれませんが
未練とは違うんですよね。LOVEがLIKEになっただけたったそれだけです。
未練というのは、「恋人になりたかったけど、なれなかった。でもまだ恋人になりたい」という意思の現れだと思います。
前の会社の朝礼内容について
(2001/04/15 UP)
これは造語ではありません。朝礼当番の時の私の考え方です。
私が以前勤めていた会社には朝礼があり、その部署の人間が交代で朝礼当番を行います。
目的としては、3分間スピーチをさせて、大勢の前で話しをする事に慣れさせるとか、色々な目的もあったと思います。
みんなが話す内容は、今朝ニュースで・・・とか、この業界は・・・とか、それを言って最後に
自分もこうしたいです。と締めくくる単調なものでした。
私は朝礼の話の題材を「ドジ話」に絞りました。朝から貴重な時間を使って堅苦しい話しを聞きだがる人はいるだろうか?と
疑問に思ったからです。それに「ドジ話」は基本的に楽しいものです。でも他人の「ドジ話」は言えません。みんなは楽しいですが、
言われた本人はたまったものではありません。ですから、自分のドジ話をする事にしました。そうすれば誰も傷つかず、楽しいものになります。
そしてその考え方は、うけました。もっとも上司が「社会人なんだから、もっと社会人らしい事を言いなさい」と
言っていましたが・・・でも何が社会人らしい事なんでしょう?新聞で読んだことを話す事?
ニュースで見た事を話す事?そんなものは他の人にまかせれば良いんです。
私は会社をやめる最後まで、その信念を貫き通しました。
いつもは退屈な朝礼。でも私が当番の時は楽しみにしている人もいたのは事実。
朝一番で笑顔を作ってそして仕事に励む。そのほうがよっぽど有効な時間の使い方だと
私は思っています。
自分が知っている事を他人が
知っていると思ってはいけない
(2001/08/05 UP)
世の中には、自分が知っている事は、他の人も知っていて当然だと思う人がいます。
そして、他の人が「知らない」と言うと、「なんでそんな事も知らないの?」とその人の評価をさげる人がいます。
以前、こんな事件がありました。
AさんとB君が仕事をしていました。B君は仕事で必要な書類が、なかなか来ないのでAさんに対して
「まだ来ないんですか?」と要求していました。
ある日、AさんがB君に対して「例の書類見た?」と聞きました。
B君は、「その書類はまだ受けとっていません」と答えました。
するとAさんは「B君のパソコンの中に入れておいたよ。もう3日もたつのにまだ見てないの?」
と「怠慢な奴!」とB君にレッテルを貼りました。
でも、AさんはB君に対して連絡をしていないんです。そしてAさんの言い分は、
「B君が自分のパソコンの中を見ていないのがおかしい」と言うんです。
パソコンのどこに書類の電子ファイルを入れたのか。いつ入れたのかをまったく教えてもらっていないので
B君がわかるわけがありません。
AさんはB君に「毎日自分のパソコンの中身を隅から隅まで見るのが当たり前」だと思っているのでしょうか?
怠慢なのはAさんの様な気がするんですが・・・
この様に、自分が知っているから他人も知っていると勘違いしている人が非常に多いです。
もっとすごいのは、自分の頭の中にあるアイデアが、関係者も知っていて当然と思っている人もいます。

きちんと報告しましょうね。人はテレパシー超能力者じゃぁないんですよ!
信頼を得るには長い年月が必要である。
ただし、信頼を失うのは一瞬である
(2001/08/14 UP)
人間関係は信頼の元に成り立っています。これは大人の世界はもちろんの事、
子供の世界も例外ではありません。
例えば仲良く遊んでいる友達なんかも、その人と遊んでいて楽しい、お互いがそう思っているので
また遊びたくなり、いずれ親・兄弟にすら話せない悩み事を相談できる「親友」となります。
初めて会ったその日から、いきなり親友になる事はまずありえません。きっと長い年月が必要です。
しかし、親友になった状態でも相手が大切にしている宝物をわざと奪ってしまったり、
わざと目の前で壊してしまったりしたらどうなるでしょう?
おそらくその日から絶交状態になるのではないでしょうか?
(よほどの大親友か、相手が仏のレベルに達していない限りは・・・)
ですから、あの言葉が生まれたのでしょう。
「親しき仲にも礼儀あり」
油断はできませんよね。親しい仲だからといって、「これくらいの冗談はいいだろう」と
やってしまった事が取り返しのつかない事になり得るのですから。
もっとも、これを恐れすぎてしまうと「ぎすぎす」した人間関係になってしまいますから、
付き合いというものは難しいですね。
人間は基本的にマイナス思考である
(2002/03/17 UP)
今も昔も鬱(うつ)になる人は多いですね。昔は「好きな人にふられたから自殺した」とか
「受験に失敗したから自殺した」とかありましたし、
今も「試験に失敗した」とか、「仕事で失敗して叱られた」とか落ち込む事もあると思います。
でも、自分だけが不幸に・・・なんて思ったりしていませんか?
人間は基本的にマイナス思考なので誰もがみんな、こういう状態になります。
でも、「だってあの人は楽観的だよ」という場合もありますが、その人は常にプラス思考で
物を考えているからだと思うんです。その人だって、失敗した瞬間はブルーな気持ちになっているはずです。
でも、意識的に良いほうへ考えるのでしょうね。ただ、こんなプラス思考が身についている人は
案外少ないものです。ですから、失敗して落ち込んでいる時でも、「普段楽観的な人も落ち込む事もあるんだ・・・」と
考えて見てはどうでしょう?みんな人間です。完璧は人は一人もいません。
落ち込まない人間も一人もいません。
乗り越えられるからこそ
試練が与えられる
(2002/04/21 UP)
もう嫌だ!なんで自分ばっかりこんな目に会うんだ?とか、
他の人達は楽しんでいるのに、自分ばかり苦しい目にあってうんざりする。
なんて事はよくありますよね?
でも、よく言われる事なのですが、「その人ならば、超えられる。
だから神様が試練を与える」・・・そういうものです。
神様は、「こいつにはこの試練は無理だな」と判断されたら
その試練は、その人の元には来ません。
伝記でも有名な「ヘレン・ケラー」は三重苦ですよね?普通の人ならまっとうな人生を送っていません。
でも、彼女はその試練を乗り越えました。
目が見えない人、足が悪い人、体に障害がある人達はたくさんいますが、
そういう人達は、普通の人よりも輝いていますよね?
乗り越えられるからこそ、試練が与えられるのです。
そして、貴方は選ばれたのです。そう考えれば試練とも仲良く出来るのではないでしょうか?
単に辛いだけなら、達成は無理。自分を磨く修行と思えば、達成できる。
そういうものだと思います。
外見だけで人を判断する事をしてはいけない
(2002/04/21 UP)
世の中には、外見だけで人を判断する人達がたくさんいます。
でも、本当にそれは、正しい人間の見方でしょうか?
「あの人かっこいいから・・・中身も素敵」とか、
「あの人美人だから・・・内面も綺麗」とか・・・
外見と内面は別物です。もちろん、外見も内面も素晴らしい人はたくさんいますが、
外見が良くても中身が??な人達も残念ながら少なくありません。

髪の毛を染めた人達は、あまり近づきたくない感じがしますが、いざ友達になってみると
良い人達ばかりです。逆に一見真面目そうな人でも、事件を起こしてTVに出てしまう事だってあります。

異性を好きになる時も、どうしても自分の理想像に近づけようとしていしまいますね。
でも、こんな事が言えます。
女性は天使ではない、男性は勇者ではない。
自分の理想像に押しこめて、理想に反した時点で
その人を嫌いになったり、逆恨みをするのは言語道断です。
それは、その人を好きになったのではなく、
自分の頭が作り出した妄想を好きになったにすぎない。

私は偶然にも中学時代に、この事に気がつきました。
中学生の時に、結構美人の同級生がいたのですが、内面は・・・ちょっと考え物でした。
多分、自分の外見に自信があるから調子に乗ってしまったんでしょうね。
私が中学時代に好きになった人は二人いましたが、そのうちの一人は、
「お世辞にも美人とか可愛いとかは・・・ちょっと言えないなぁと」という人でした。
じゃあ、何故好きになったのか?
・・・それは、私が今まで出会った全ての女性の中で5本の指に入るほどの「心美人」だったからです。
実際に彼女と教室で二人っきりになった事がありましたが、
その時は心臓が壊れちゃうんじゃないかと思うくらいドキドキしました。

その時からですね。外見だけで判断する事の無意味さを知ったのは。