Prologue
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”村”とは何か?
"I am now living in a place of foothill.
And I want to live out my days to works to creates with nature and enjoys it, together."


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村のNews


巨石信仰

思索の庵
この室の目次 1: 村の繋がり 2: ふる里とは 3:
思想史の観点

日本人であること

5 風土について
1: 村の繋がり・・・・・ 


        

                
豊田市の市街地まで,車で約30分の中山間地。標高は、およそ320m。
 山のむこうの山裾の田圃から、弥生時代の土器が出たり、洞窟から縄文土器がでた。
ず〜と大昔から静かに静かに、『いのち』の営みが続いてきたのだ。
 大昔
(4〜5百年前)は数十戸在ったとか・・。
 だが、ご他聞に漏れず、じりじりと過疎化が進んでいる。
 今、ここ六所山の裾
(すそ)に在る23戸の村。
 村の仲間は、皆、近しい間柄。 兄弟のようなお付き合いだ。
血縁は
二代三代も経過すれば遠くなる。
しかし、村のお付き合いは、4〜5百年間、ほとんど変わっていないのだ。
 これは不思議な”縁”だ!


ここの、この風土に私は育(はぐく)まれた。
☆ 「村とは何だ?」        ー 村の成立経過を推論する ー ・・・・・・・ 苦縁讃
 現代のホモサピエンスは、アフリカのブッシュマンを起源とすると言われている。
 即ち、祖先は共通の”兄弟”なのである。
 長い年月を経て、地球上の各地に拡散しながら、今に至っている。
 その間に、定住した場所の気候や風土に適応・馴化し、皮膚の色や体型が適応しながら、移動・拡散は継続したのである。皮膚の色は、およそ2,000年で適応して変化するという。
 結果、白色人、黄色人、黒色人などと多様に変化した。
 1 旅立ちのこころ ・・・・ 「どこかに行こう!?」と、思う気持ちは・・・・・?




@ 食 糧  気候の変動、或いは人口の増加に伴って、食糧が不足しがちになった。 そこで、村の中の一団又は一部の家族集団が、新しい土地を探しながら移動した。求める地は、川の畔で、果実などが豊富に手に入る場所だった。(!ネアンデルタール人もホモサピエンスも、食人習慣があった。!)
A 仲たがい  村人との間の仲違いや争いから、仲間はずれになった家族達が、新天地を求めて移動したことも有ろう。
 或いは、近隣の村人達との諍
(いさか)いで、居心地が悪くなって、村ごと全員で新しい住処を探したかも知れない。
B パイオニア  ヒトは、ロマンとフロンティアのこころを持っている。更に、よりよき物・より心地よい世界を求めて・・・・、新しい土地に移ったかも知れない。
※参考文献:「5万年前に人類に何が起きたか? ー意識のビッグバン ー」 リチャード・G・クライン、ブレイク・エドガー著 鈴木淑美訳 新書館
         
「1万年の旅路 ーネイティヴ・アメリカンの口承史 ー」  ポーラ・アンダーウッド    星川淳 訳 翔泳社 
 2 定住への試み




@ 栽培・飼育  動植物を栽培・飼育して、食糧の確保を効率的にした。また、道具の機能が向上した。木材→土器→石器→鉄の発明。
A 協調・協力  集団の中の、より聡明な者に依頼してリーダーになってもらい、争いごとを調停させた。彼には食糧生産の仕事をしなくても良いように補助した。
 また、
 再三村を襲って、収穫した食糧を奪うような戦いの巧みな集団に、食糧を供給する代わりに、村の警護を分担させて、安定的な平和を維持することを考えた。警護を分担する集団は、武術を戦術を磨いた末に、村人達より優位に立つようになり、権力者となったことであろう。 
B 道具が貧富を生む  鉄器が誕生してから、生産力が格別に向上した。貧富の差が拡大し、リーダーは権力欲を増幅させた。
 村は堅固になって、より大きく拡大させたいと望むようになる。
 相互に村人達はそれぞれが自衛の為に、一部の雄志達に武力を身につけさせた。
『棒の手』は、今は、無形民族文化財となっている。  LINK
C 集団に馴染めない集団  ヒトには、パイオニア精神が備わっている。常に、「もっと違う」新天地を夢見た。
 また、村の決まり事に馴染めない集団は、新天地を探した。
 それでも適地に定住できないときには、時には邑を襲って食べ物を奪ったであろう。
 このようにして、更に、ホモサピエンスは地球の各地に拡散は続いた。今でも、私たちは旅が好きである。

 3 歴史と危機・・・ 部族間の尽きることのない争い             (「哲学・思想を考える -今歴史の中で−」 放送大学教育振興会 NHK出版より抜粋)
 
@ 植民地化

強制移住
 枚挙にいとまないが、・・・例えば・・
 17世紀 イギリス・フランスが競合して入る。アフリカの黒人は大量の奴隷として農園の仕事に酷使された。また、奴隷貿易として国外に連れ出された。17世紀134万人。18世紀には600万人を超えた。
 1830年「インディアン強制移住法」・・・先住民に対して強制的な同化政策をとった。インディアンの子供達を家族から引き離して「文明化」をすることを目的として白人に寄宿舎に入れ、それまでの生活習慣をやめさせて、キリスト教に改宗させ、母語を禁じ英語を話させた。「インディアンを殺し人間を救え!」がモットーで先住民の文化は徹底的に破壊された。
 かつては300を超えたインディアンの母語は今(2018.4)では150語ほどになり、そのうち、若者も使っている言葉は35に過ぎないという。    下の表は1855年、インディアンの首長シアトルが、インディアンたちの新しい土地を与えて今いる場所を買収するとの申し出に不本意ながら署名をしたときの大統領宛に演説したその一部である。人間にとって重要なことが簡潔に見事に表現されている。(その一部を引用)
            寮美千子編・訳『父は空 母は大地』パロル舎刊より
 
 →  →  
 「Washingtonの大統領が
 土地を買いたいといってきた。
どうしたら 空が買えるというのだろう?
そして 土地を。
私には わからない。
 風の匂いや 水のきらめきを
  あなたは いったい
   どうやって買おうというのだろう?

すべて この土地にあるものは
 わたしたちのとって 神聖なもの。
松のはの いっぽん いっぽん
 岸辺の砂の ひとつぶ ひとつび
 深い森を満たす霧や
  草原になびく草の葉
 葉かげで羽音をたてる
   虫の一匹一匹にいたるまで
 すべては
   わたしたちの遠い記憶のなかで
    神聖にかがやくもの。

わたしの体に
 血がめぐるように
   木々のなかを 樹液が流れている。。
  わたしは この大地の一部で
    大地は わたし自身なのだ。
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・
死んで 星々の間を歩くころになると
  白い人は
 自分が生まれた土地のことを忘れてしまう。
 けれど わたしたちは 死んだ後でも
 この美しい土地のことを 決して忘れはしない。
 わたしたちを生んでくれた 母なる大地を。
わたしが立っている この大地は
 わたしの祖父や祖母たちの灰から できている。
 大地は わたしたちの命によって 豊かなのだ。

 それなのに 白い人は
  母なる大地を 父なる空を
  まるで 羊か 光るビーズ玉のように
    売り買いしようとする。
 大地を むさぼりつくし
  後には 砂漠しか残さない。
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・



 わたしには あなたがたの望むものが わからない。
 バッファローが 殺しつくされてしまったら
 野生の馬が すべて飼い慣らされてしまったら
 いったい どうなってしまうのだろう?
 聖なる森の奥深くまで
  人間に匂いがたちこめたとき
  いったいなにが起こるのだろう?

 獣たちが いなかったら
  人間は いったい何なんだろう ?
 獣たちが すべてきえてしまったら
  深い魂のさみしさから 人間も死んでしまうだろう

 大地は わたしたちの属しているのではない。
 わたしたちが 大地に属しているのだ。

 たおやかな丘の眺めが 電線で汚(けが)されるとき
 藪は どうなるのだろう?
  もう ない。
 鷲は どこにいるのだろう?
  もう ない。
 足の速い子馬と 狩りに別れを告げるのは
 どんなに つらいことだろう。

 それは 命の歓びに満ちた暮らしの終わり。
 そして ただ生きのびるためだけの戦いがはじまる
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ひとつだけ 確かなことは
 どんな人間も 赤い人も 白い人も
 わけることはできない ということ。
 わたしたちは結局 おなじひとつの兄弟なのだ。
 わたしが 大地の一部であるように
 大地が
   わたしたちにとって かけがえのないように
  あなたがたにとっても かけがえのないものなのだ。

 だから 白い人よ。
 わたしたちが
   子どもたちに 伝えてきたように
   あなたのこどもたちにも 伝えて欲しい。

 大地は わたしたちの母。
 大地にふりかかることは すべて
 わたしたち
 大地の息子と娘たちにも ふりかかるのだと。

 あらゆるものが つながっている。
 わたしたちが この命の織り物を織ったのではない。
 わたしたちは そのなかの 一本に糸にすぎないのだ。
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・
 どうか しろい人よ
 わたしたちが 大切にしたように
 この大地を 大切にしてほしい。
 美しい大地の思い出を
 うけとったときのままの姿で
 心に 刻みつけてほしい。
 そして あなたの子どもの
 そのまた 子どものために
 この大地を守りつづけ
 わたしたちが愛したように 愛して欲しい。
 いつまでも。
 どうか いつまでも」



 抽象的な概念や体系的思想ではなく、生活に根ざした地に足のついた生命ある言葉・思想である。
 部族を責任持って率いてきた首長の言葉であるが、彼に至るまで、何世代も受け継がれてきた深い知恵であろう。






     


A 気候変動や戦争による難民の増加  集団の中の、より聡明な者に依頼してリーダーになってもらい、争いごとを調停させた。彼には食糧生産の仕事をしなくても良いように補助した。
 また、
 再三村を襲って、収穫した食糧を奪うような戦いの巧みな集団に、食糧を供給する代わりに、村の警護を分担させて、安定的な平和を維持することを考えた。警護を分担する集団は、武術を戦術を磨いた末に、村人達より優位に立つようになり、権力者となったことであろう。 
 
2  『ふる里について』・・・佐藤一斎(1772〜1859)の著書『言志後録37条 地の徳』より
「21世紀は、帰郷の時代」と述べた人がいました。        
ふる里の自然や人のつながりは、懐かしいものだ。       
」という字を、漢字源で調べてみますと、「寸は、手の指をしばしおし当てること。
村は『木+音符寸』で、人々がしばし腰をおちつけた木のある所をあらわす。」とありました。
 村の風土は、人が育つために欠かせない要素です。
 幕末の日本の先覚者といわれた佐久間象山
(しょうざん)を、ご存じだと思います。
彼の門下から、勝海舟、坂本龍馬、吉田松陰等の志士が輩出されました。
 ここでは、象山の師で、幕末の鴻儒
(こうじゅ)と言われる佐藤一斎(1772〜1859)の著書言志後録37条 地の徳』を、ご紹介させていただきます。    Link 思索の庵ー18
 
「人は地に生れて地に死すれば、畢竟地を離るる能わず。・・・。」といった具合です。
 読み進むうちに、次第に、昔、真顔で子供の私にお説教してくれた祖父の声を思い出しました。
不思議です。私を覗き込む厳しい祖父の眼の輝きが、脳裏に蘇って、とても懐かしい思いがする。
そう言えば、祖父の眉毛はとても長かった。
 元東京工業大学学長川上正光氏による現代語訳によれば、・・・

「人間は地上で生まれて死んで地に帰るものであって、つまりは地から離れるわけにはいかない。
だから、人は地の徳(地の恵み)をよく考えるべきである。」

                    ・・と言う意味である。
 我々は、その地で採れたものを食べ、身体を成長・維持させ、そして、死んでやがて地に帰る。
地の恵み・「風土」に育まれて活かされながら生きる。「身土不二」という言葉もある。
 さて、訳文を追ってみます。
 地の恵みは、四つあると説く。
 「即ち地の徳は敬である。だから人は宜しく
を守るべきである。」とある。
「敬」とは、どんな意味かについては、別のところに述べてありました。
さて、続けましょう。
 
「地の徳は順である。だから人は宜しく順(従順でおとなしいこと)であるべきである。 地の徳は簡・・。」と、
『地の徳』は、「
」・「」・「(簡単。単純)」・「(人情の厚いこと)」の4つであると述べ、地(ふるさと)の恵みを説いています。
 何か新鮮なモノを見るような想いがしませんか?
 これらの徳、現在、忘れかけていないだろうか。
人は現実を殊更(ことさら)に難しく考える癖がある。地の徳は、「簡」と言うのも興味深い。
 ・・・・・・・ ・・・・・・
老子は、
            
「大道(だいどう)は甚(はなは)だ夷(たい)らかなり、       
            而
(しか)も民は径(こみち)を好む。」
と言った。
 「本来、人の道は広く平直であるのに、とかく人は脇道に入り込み、コトを難しくさせる。」という意味かと思います。
 ・・・・・・・ ・・・・・・ 
」について、同じ『22条 敬の真義』に、説明がありました。
 「人は心に、感情がいずれにも偏せず,すべての事をなごやかに行うという中和
(注:喜怒哀楽の情の中庸(ちゅうよう)を得たもの。和:和やかにやってゆくを言う。)の精神をもつならば、身体は安らかにのびのびとしている。
これが敬である。・・・。」と述べ、『善にして柔らかく、美わしく恭
(うやうや)しい』のも、敬であると、元東京工業大学学長川上正光氏は、「大学(儒教の経書)」や「論語」を引用して説明していました。
 私は、文字の持つ意味を、再認識する機会を得ました。繰り返し読んで見ると、静かであるがとても深い、大切なことでした。

 子供の頃、近所のおばさんに褒
(ほ)められた。
些細
(ささい)なことだったが、大きな励みになった。叱られたこともあった。そんな積み重ねが、子供の成長には、とても貴重だった。村には「敬」があったのだ。そして、年齢を経るごとに、「自分は、村に育てられたんだ!」と、懐かしさが深まる。
・・・・。
 地域の人々と、共に未来を考える。そんな、里山作りに心がけたい。里山には、廉直な方々が多い。
 そんな気持ちで里山に住みたい。

 
至るところがそんな村々であってほしいものだ!
野山は健やかで、子供達の明るい希望の育つ場にしたいものだ。
                                             By 苦縁讃
Link  別な視点から”村・農村・食糧について考えるページへ
3 人々の結びつき方:日本人  『日本思想史』・・・中村 元 によれば (246ページ)
「狩猟や遊牧をしていたインド・ヨーロッパ語族の原始社会では、絶えず異なった民族との接触の機会があった。
 そこでは人間関係がきわめて対立的となった。
 民族の大移動が行われ、ある民族が他の民族を征服し、その民族もまた別の民族に征服された。
 そのような社会では、生きるための戦いは相互信頼ではなく、理論的な計画と戦略に基づいていた。
 これに反して、日本の社会は局地的な農業の小集団から発展したものである。
 日本人は早くから移動生活を離れ、定住して水田を耕した。米を常食とする人々は、一定の地域に定住せざるを得ない。
 そのような社会では「家」が連綿と存続しており、先祖からの系譜、親戚関係などはメンバーに知れ渡っていて、社会全体が一家族と思われるほどである。
 そこでは個人個人が緊密に結びついて閉鎖的な人間関係を形成する。
 自己主張するものは相手の感情を傷つけ、ひるがえっては自分も傷つく。
 日本人はこのタイプの家族社会にみずからを順応せしめ、そのなかでの生活にふさわしい表現形式を作った。
 ここに氏神や土地の神々の周辺に小さく固まろうとする傾向が強い。
 この傾向が人々のなかに深く根を下ろし、人間関係特に調和ないし和の精神を重視するように仕向けてきたのである。
 このようにして日本人は個人を軽視してまでも、人間関係を過度に重要視するようになったのである。」
             

4 日本人であること    
日本人の遙かなる地平には、世界の多様な異人種や異文化を十分に説得しうる深さや柔軟性を備えた普遍的な真性、あるいはそれを独自に展開し、伝えてきた流れがある。
 その柱となる筆者の目線を披瀝しておこう。
 戦後の日本は自らの歴史を否定し、宗教を否定し、いわば、自らの根っこを断ち切ったところから出発した。であるがゆえに、まず日本人の根っこを私たち自身が認識することから始めなければならない。
 この列島に住む住民、すなわち日本民族の心・魂はどのような形と気質のものであり、どのようなものとして子孫に伝えていくべきものなのか。
 (略)日本の歴史の表層面を深層から眺めなおし (略) 遙か古代からのミーム(文化の遺伝単位)とも言うべき深層の無意識。なかでも最も日本的なる「魂」をも突き抜けた深い霊性の識閾
(しきいき)に届いた根本的な絶対感性こそが、日本民族の心や魂の始原を宿す源泉であることを直感するからである。端的に言えば、その霊性の識閾に届いた絶対的な感性なる日本民族の核心が、現代においてその表層面からほとんど沈み、隠され、消えてしまった。
 このような視点は、同時に日本人の霊性、日本人の精神・心・魂の特徴を歴史の最深層部から始めて現代に至るまで、重点的・概観的に明らかにしようとする作業を伴わざるを得ないであろう。
 要は、本来の「やまと魂」とは、いったいどういう特性をもった魂なのかを明らかにするほかない。その作業は、かつてE・ノイマンが「意識の起源史」で明らかにしたように、日本神話にみる「日本民族のエートス」を探ることから始められよう。
 このような作業の過程をとおしてのみ、私たちは日本民族の「明日への方向性」を見いだすことができると考えるからである。
                 
「まほろば」の循環史観」  四天王寺国際仏教大学教授・弁護士  中島尚志   月刊誌「MOKU 7 2004.JUL.」 95頁  
☆ 中島尚志(なかじま・しょうし)氏のこと・・・・
  四天王寺国際仏教大学教授・弁護士。1933年東京都生まれ。東京大学経済学部、同大学大学院インド哲学科修了。各地裁等の判事補、判事を経て、95年12月自由な発言の場を求めて、依願退官。主な著書にー「法華経 ・仏教における法の光景」「サリン」「日本語進化論」などがある。
 
                 ホームページ http://mypage.odn.ne.jp/home/yaeshou20034010 
 注:このホームページには、各所にこで中島尚志氏の論文を参考にさせて戴いております。私なりに要約し、または、直接引用させて頂きました。
   このことは、教授ご本人より了解をいただいております。快諾戴いた同氏に心より厚く御礼申し上げます。

                                    
5 風土について 「まほろば」の循環史観」  四天王寺国際仏教大学教授・弁護士  中島尚志・・抜粋
 日本民族の原祖先は、活火山帯列島という「風土」を背景にして、当時の地球人類がもつ平均的文化度を大きく超えた「火」を駆使する「火群の民」でもあったと言うことだ。  (略) 
 人類は、火を獲得して保存し恒常的に利用するまで、長い時間をかけながら多くの試行錯誤と工夫を繰り返したに違いないが、、「火」が人類に対してもつ根本的な意味は今に至るまでそう変化してはいない。
 火は人間の統制下にあれば多くの創造や恵みをもたらしてくれるが、人間の統制下にない火。例えば、火山の噴火や、雷、山火事などは様々な災害をもたらす。
 しかし、人間の統制下にない火山の噴火、雷、山火事でさえも、「長い時間(天時)」を経れば、大量の土砂や灰が雨水と共に混じり合って、再び数多
(あまた)の「生命」を胚胎し、数限りない実りを生み出すことになる。
 まして「豊葦原
(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂(みずほ)の国の地(くに)」なる私たちの国土の原風景は、壮大な生命の営みを育む翠戀(すいれん)と大海原である。そして、美しくも荘厳なる神々の棲む活火山帯列島を嫋(たお)やかに生き抜いた「火群の民」の眼差しをもって、いま一度この原風景を捉え直すことによって新たに鮮やかな光彩を放つことになるのではなかろうか。
  和辻哲郎は・・・・
「もとより風土は歴史的風土であるが故に、風土の類型は同時に歴史の類型である。
 我々はそれに触れることを毫
(ごう)も避けようとはしない。        
 しかし、我々はここに人間の歴史的・風土的特殊構造を特に風土の側から把握しようと試みるのである。」

                                  『風土』より
 「我々は風土において我々自身を見、その自己了解において我々自身の自由なる形成に向かったのである」
と紹介した。
  確かに人間と風土の関係はもっとも「始源」的関係であり、これを除外して人間の心・意識・精神、そして霊性を語ることはできない。それは同時に人間が人間であることの象徴的なファクターとしての文化、あるいは文明も深く「風土」に根ざしていることを意味する。

  医師であり分析心理学者として独特の地平を開いたE・ノイマン
(1905ー60)の言葉に、
 ”神話に見られる意識の段階は、自我が無意識の中に包まれている段階から始まり、最後には自我が自らのあり方を自覚し、それを英雄的に主張するばかりか、自らの活動を通して変容していく中で、経験を拡大し相対化することのできる状態にまで達する”

 
また、ノイマンの師であり、自らも神話を「人類共通の集合的無意識」と考えたカール・G・ユング(1875−1962)も次のように述べている。
 神話の出来事は世界の根底を形づくる。というのは、一切が神話の出来事を基礎とするからだ。神話の出来事はアルカイ(始源)である。
              『神話学入門』
一般論として「神話」はほとんど未開野蛮と言われた時代に、特定の人物というよりも、名もない多くの人々によって創作され、語り継がれ、伝承された「物語」である。
 しかしそれは、人類がそのシンボルの一つとしての「言語」を使い始めた頃の人間の最も古い《自己理解》としての物語でもあるわけで、ノイマンやユングが、人間の心や意識、あるいは精神や無意識を分析する上で、ことのほか「神話」に鋭い関心を寄せたのは当然のことだったと言えよう。
  (略) 『古事記』や『日本書紀』は、まさに日本最古の神話であるが、これらの記述を日本民族のすぐれて共同体的な原意識だったと捉えれば、ここにこそ日本民族としてのアイデンティティ、すなわち天地宇宙に蹶然(けつぜん)として起(た)つ自己の存在性、自らの敬(つつ)しみとしての使命、あるいは峻厳(しゅんげん)にして豊穣(ほうじょう)なる恵みを与え続ける大自然に生かされ生きる人間としての有り様、そして、独自なる国土、固有の文化、特有なる社会における秩序や人生の意義などの「素地」が、ことごとくその中にあることに気づく。
 (略) 私にとって「神話」は、単に「昔話、民話、お伽話」の類ではない。
 『古事記』や『日本書紀』は、共に民族固有のものであるが、「昔話、民話、お伽話」が、個々人の、あるいは小さな集団の間に共有される「物語」であるのに対して、「神話」は、それを共有した民族全体がもつ集合的無意識に根ざした構造的、循環的事実を基礎とする「内観」の意識であり、ついには「自覚」の意識だからだ。
 それは、単に個人や一部の知識教養人などによる部分的な、物語ではなく、民族に共有される「集合的無意識」を源として生まれた物語であり、その集合的無意識から引き出される固有的同一性をもった「自覚」であり、就中(なかんづく)、民族独自の自由な「全体意識」なのだ。 (略) 
 私たちの日本は、その成り立ち自体が「火山帯列島」の『火群の国土』であり、火山帯列島に起因する四方を海に囲まれた「海洋生態系」を象徴した『海(わだ)の大八州(おおやしま)』である。 (略) 私たちの祖先達が、この国を大八州と呼称した。この感覚はいまでいう思想や文化などと言う以前の、自分たちを取り巻いている日常の「風土」そのものと直接な関わり合いから得た純朴な感覚である。その感覚は遠く縄文時代から数千年の時を経てもなお生き続けているミーム(遺伝子)のような感覚であって、歴史的にはそこに暮らす人々と「風土」との関わり合いに様々な変遷があったとしても、基本的には殆ど変容していない根幹的な感覚なのである。
 そして、その大八州を「日本的風土」と言うとき、それは言語以前の、日本人であれば誰もが共有しているはずの集合的無意識の領域に根ざす「直感知」そのものなのだ。 (以下 略)
6 過疎化と少子化が進んでいる ・・・ そこでこんな提案をしてみた ・・・
 過疎化しながら、当然に少子化が進んでいる。小学校は、廃校の危機に瀕している。
 村人の多くは、「やむを得ない」こととして、諦
(あきら)めムードである。
 それに関連して小学校統廃合の後のスクールバスについて考慮中。だが、本当にやむを得ないことだろうか?!
 !!昔、食い物の無かった頃、・・・・・、それは数十年前のこと(やがてそんな時がこないとも言い切れない。)、「今、喰うモノがない!」と言った事態には諦めて食わずにいただろうか?
 収穫の終わった後の稲の根っこをこいで食べた。草の根を食べた。それでも空腹が満たされないときには、山に入ってくずやその他の植物からデンプンを抽出して凌
(しの)いだ。それでも餓死する人は多かった。ある地方の老人は、今、食べたい麦の種子を田にまいて、結果、自分は餓死したが、そのおかげで村人の多くが収穫した麦のおかげで生き延びることができたとの、言い伝えが今も遺っているほどだ。
 あちらこちらで、人肉を食する事件も頻発し、人の世のおぞましさを嘆く様も記録に残っている。・・・・・。つまり、・・・
 生き抜くために、課題に対して、次の手・・・・、また、次の手を工夫した結果、我々の命は今に繋がっている。
 豊かな国・日本には、課題に直面して、諦めずに「次の手」を、考える・工夫する性癖が消え失せてしまったようである。困ったことは、地方の政治家の責任に押しつけて、安易な方法で応えを待つという方法が多くなった。地方の政治家は、国からの補助金(地方交付税)を少しでも多くせしめようと、人口を増やすために『合併策』で凌ぐことを考えている。
 国は、国債を発行して詰まるところ国民に責任を負わせている。
 今、自分の立場が安泰に保たれれば良いからである。
              
 「碁のプロは、三手先を考える」と言う。

 
目前の相手の”手”に対して、三つの方策を探る。
 その三つの方策に対して、相手がどのような対応をするかを考える。
 推測される相手の対応に対して、自分はどうするかを考慮してから、最前と思われる所に”石”を置くのである。
              
 少子化で、少なくなった小学生達が、山道を歩くのは危険である。
 親が毎日自家用車で送り迎えをするのは、本当にやむを得ないのであろうか????
 ”道草”をしながらの登下校で、地域の風土から与えられた情操教育は、実に大きかったと、自分の過去をふり返る。
 さて、そこで、以下のような提案を地域の「教育懇談会(年3回)」で行った。
地域草の根活動 「シル・チル・ミチル会」の発足について(案)

会の名称について
 会の名称は、あのお話の「チルチル・ミチル」のように『青い鳥』を、身近な里に見つけようとの願いを込めています。
 また、シルバー世代と子供(チルドレン=Children)が、一緒に歩くこと(道=ミチ る)を意味しています。そうして村のChildrenを知ることでもあります。だから知る チル!
 里は静かに過疎化に向かって暫時ひっそりと空洞化が進む中で、一方では、「故郷(ふるさと)造り」が、唱えられる昨今です。しかし、故郷とは一体なんでしょうか?
 故郷(ふるさと)は、人々の心の中にどっしりと根を下ろしている「郷土愛」に他なりません。
 里の風土が心の中に染みこんいて、我々にとって「掛け替えのない故郷」感が、他ならぬ真の”故郷(ふるさと)”なのではないでしょうか?子供達は、「村・地域」 の”夢・希望”です。


趣旨:
 本会はシニアおよびシルバーの有志の皆様と児童生徒との交流をとおして、里に「青い鳥」を呼び込もうと期待するものです。
 シルバー世代は、里の山や人情や昔の道の形など・・・・・、何でもないところに、たくさんの思い出を持っていて、真に里を愛しています。「シル・チル・ミチル会」は、児童生徒がそんなシルバー世代と行動を共にすることで、以心伝心、村の文化をさりげなく子供達に伝承することができれば・・・と願うのです。
 児童生徒との会話をとおして若い子供の澄んだ瞳から新鮮なエネルギーを、そして、世代間を超えて限りない夢と希望を共有しようではありませんか。
 児童生徒は、里のシニアやシルバー世代との交流によって、世代を超えた新しい情報を会得することができます。昔の村のことや、お年寄りの昔の子供時代のことや、家族ではないお年寄りを理解することで、幼年期の人格形成に多大の文化的資産を共に通学することによって会得できます。
 これらのことは、昔、村々で普通に日常の交流をとおしてしてきたことです。

活動の内容
 登(下)校時の里から学校までの道を同行する(道=ミチる)ことです。
 お互いに、もっともっと村の子供たちのことを知りましょう!
 郷土の子供達を知ることは、未来をみること!
 シルバーの皆様!村の子供たちは、掛け替えのない村の宝物です!
 児童の諸君!村のお年寄りは、学校やお友達からは知り得ない、あなた達の貴重な文化遺産です。
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 登(下)校時の里から学校までの道を同行する(道=ミチる)ことです。
『青い鳥』は、街や都会ではなく、里にあります。

シルバー・シニアの皆様
 犬の散歩・朝のウォーキングの時刻を、村の子供たちの登校時刻に変更しましょう!
 1週間又は一ヶ月間で別な会員と交代(各地区の会員と話し合いで決定)です。
無理のない距離を歩きましょう。旧部落の中でも結構です。次の部落の方と交代しても結構です。学校の校門まで歩いても結構です。
 校門では、声を掛けて分かれましょう!
児童(Children)の皆様
 登(下)校に当たって、1週間または一ヶ月間交代で、村の○△爺ちゃん(またはバァチャン) の家に集合して、一緒に登校だ!
 村境(むらざかい)では、隣の村のお年寄りが待っているかもしれません。元気よく挨拶をしましょう。そして、一緒に歩いて学校に向かいます。校門にまで着いたら、元気よく『行ってきます!』と、挨拶をしましょう。
シルバー・シニアの皆様
 会員は、有志を募ります。歩きに自信があれば誰でも参加できます。また、内心「健康のためにお散歩でもしようか?!」と、お考えの方は参加資格があります。
児童(Children)の皆様
どこの爺ちゃん(またはバァチャン) の家か?学校から連絡があります。
 「あの爺ちゃんは、歩きが遅いぞ!?」と思ったら、少し早めに集合だ!
シルバー・シニアの皆様
 一緒に歩くだけで結構です。村の山や川、それから自分の小学校時代ののことなどを、思いつくままに話してやりましょう!しかし、きっかけが無ければ、一緒に歩いて、子供たちの会話を聞いてやるだけで結構です。
児童(Children)の皆様
 村の爺ちゃんやバァチャン達は、健康のためにお散歩が必要です。
 一緒に学校まで歩いてあげましょう。お年寄りが疲れないように、気遣いしましょ う。
 村のお年寄りと一緒に歩けば、不審な知らない人が声を掛けたりしません!
A 要請があれば、小学校に赴いて子供達に昔のことなどを聞かせてやってください。


協賛
      (PTAを入れない理由:趣旨の確認)
 (1) 地区々長会  (2) 地区保護司会
 (3) 地区老人クラブ  (4) 各学校区小学校長  (5) その他  など

課題と対策
 (各項目ごとに、具体的に示した)
 (1) 引率者(老人)の学校まで送り届ける責任をどのように考えるか?
 (2) 子供とのコミニケーションはどのようにはかるのか?かえって苦になるのではないか?
 (3) 子供の会話と考えを吸収するだけの包容的余裕が老人側にあるのであろうか?
 (4) 運動の周知徹底と具体化に向けての方策について


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地区の小中学校の管理職が持ち帰って協議することになったが・・・。

  このホームページには、”巨石信仰”を取り挙げています。
 また、ふる里の神社を中心とした行事や仏教思想を探っている。 『自分探し』の旅を続けているのです。
              ・・・・・苦縁讃


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